|
カテゴリ:診察・カウンセリング
東の空が燃える頃、
やっと私は眠りに就ける。 氷を食べ続けて寒さに震える身体を、 ふかふかのお蒲団に滑り込ませて やっと眠りに就くのである。 少し体調が芳しくないので、 お薬は直ぐ効き始め、 ぐっすりと眠れた。 途中断眠して目覚める事はあっても、 また目を閉じると眠りに堕ちる。 こうして眠りに就く瞬間が本当に 楽であるし、心地良い。 話は変わって。 主治医に言われた事であるが、 今の私の状態は、 “子猫が雨の中、濡れそぼって寒さに震えている状態” であるらしい。 私が毎日氷を食べ続けて寒さに震えている姿と 被って見えると仰った。 その子猫の事は、素直に見て可哀想だと思える。 拾って帰ることは出来ないけれど、 雨のあたらない場所に移したり、 家から食べられそうなものを持ってきて 与えたりする事は出来るであろう。 その“子猫”と、『千と○尋の神隠し』に 出てくる“顔なし”は同じである。 “顔なし”は千尋以外の誰にも気付かれず、 『寂しい・心細い・辛い・苦しい・哀しい』 と言う気持ちを持て余していた事であろう。 その“顔なし”が私の中にいるのである。 “顔なし”が暴れている状態が、 『過食嘔吐』なのである。 今の私が出来る事は、自分の中にいる“顔なし”を 認め、大切にする事であろう。 主治医からは、常々 『甘える事は大切な事である』 と言われてきている。 『甘え』があるからこそ、人と人との関係が 出来上がっていくのであるから・・・。 しかし、わたしは子どもの頃甘えたら邪険にされた。 その事から、甘えるのに躊躇を覚えるのである。 それは、甘えが受け容れられなかったら、もっと惨めになる。 だから甘える事を申し訳なく想ってしまうのである。 誰も進んで惨めになりたくないのであるから。 しかし、『甘え、甘えられる事』は 人間関係を築くに当たってとても大切な 要素なのである。それが無い人間関係はドライ過ぎて 虚しいものとなるであろう。 不幸の始まりは、きっと私が生まれた時からであろう。 決して自分を憐れんでいる訳ではない。 母は私を産むことでしか、『家の制度』から 解き放たれる事は無かったのであるから。 生まれてこなかったら、虐待される事も無かったし、 哀しく辛く、苦しく心細く、虚しい日々を送らないで済んだ。 しかし私は生まれてきてしまった。 自分を救ってやれるのは、自分しかいない事は、 充分すぎるほど分かっている。 今出来る事は、『無理をし過ぎない』と言う事ぐらいであろうか。 精神的に参っているので、上手く綴れないが 自分の中の“顔なし”を認め、それを等閑にする事なく 心を大事にしたいものである。 その為に、ゆっくりゆったり心に余裕を持てるようにして、 難しく考え過ぎずにやっていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.10 20:49:01
[診察・カウンセリング] カテゴリの最新記事
|