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カテゴリ:抑うつ感
夕闇に辺りが覆われる頃、
ふわりとした空気が 広がり始める。 そして柔らかい月の光。 見上げれば星と月とが 競演していて、 夜が侵蝕し始める。 昼、うとうとと眠っていたら、 物凄い騒音が耳をつんざいた。 上下水道工事をしていた時と 余り変わりの無い五月蝿い音・・・。 思わず「ウルサイ!!」と 叫んだが、目が覚めて外を見ると、 近所の人が電動のこぎりで木材を 解体していた。それは長く長く続き、 その後は只管金槌を叩く音が響いた。 どうやら日曜大工らしい。 いつもの自分であれば、騒音に眠りを 邪魔されて目覚め苛々している時は、 必ず過食と嘔吐に走っていた。 しかし、今回は脳裏を少し掠めるだけで 静かに消えていった。けれども、 『私は何故断眠したり苛々したりしたら、 昼間の過食をしたいと想うのか』 と言う事を騒音の中じっくり 考える事が出来た。 『どうして食べたいと想うのか?』 『苛々するから。』 『どうして苛々すると過食に繋がるのか?』 『これでしか苛々を解消できないから。』 『どうして食べる事で苛々が解消できると想うのか?』 『食べている間、何も考えなくて済むから。』 『でも過食嘔吐は凄く苦しいものではないか?』 『そうか・・・。だったら今の所はもう一度眠る努力をしてみよう。』 今日の頭の中では、こんなやり取りがあった。 私にとって、 『食べている間何も考えなくて済む』 という事実は大きなものなのである。 寂しさも、辛さも、苦しさも、哀しさも、虚しさも 全て忘れて食べ物に没頭しているのであるから。 でも上記の“想い”を頭から排除する事、 胸の中から摘み出す事は、 後で倍になって心に戻ってくるのである。 だからなのか、昼間の過食嘔吐は 避けることが可能なのである。 閑話休題。 今日、弟は顎の怪我の抜糸をしたらしい。 顔の傷の抜糸は比較的早い。 私が額を7針縫った時も、早めに抜糸 しないと跡が残ると形成外科の医者に 言われた。その後、傷口が目立たないように する為に、3ヶ月間テーピングをしていた。 一方の皮膚を傷側へ引っ張るようにテープを貼り、 反対側の皮膚も傷側に引っ張るように 貼り付けるのである。 怪我を負ったときはぱっくりと開いた 傷口であったが、今は薄く縦に一直線の 筋がほんのり見える程度になった。 やはり顔が傷付くと言う事は凄く 落ち込んだが、前髪で隠れるので 今やもう気にならなくなった。 話は変わって。 こころのメンテナンス・・・。 今日は出来たであろうか。 毎日この様に振り返るようになった。 こころを蔑ろにしなかったか。 こころの小さな傷を見逃し、 適当に嫌な事から逃れはしなかったか。 こころのメンテナンスとは、 小さな傷でも感じる時は胸が痛むものである。 それは傷口を消毒する時に 痛みがあるのと同じ原理なのかも知れない。 私の心には、大きな傷から小さな傷まで 様々に沢山の傷が付いている。 少しずつ少しずつ、無理のないように 丁寧に傷口をケアする事が大切なのであろう。 傷口と相対するのは辛いものがある。 そこには哀しみや辛さ、悔しさや苦しみ等が 凝縮しているからである。 しかし私は逃げないでいたい。 誰の心にも大なり小なり傷はあるものであろう。 それを上手くケア出来ているかどうか、 メンテナンスを怠らず出来ているかどうかで 明日歩む道は違ってくるのであろう。 哀しみに因って出来た傷は深い。 そして癒すのには自分1人の力では 足りない事もある。 そんな時、身近な家族や周囲の人々との繋がりが 力を発揮するのであろう。 今は、主治医やカウンセラーが主に、 私の傷口をケアする手伝いを して下さっている。 心の声を言葉にして発し、対話する事で 癒えてくる傷もある。 それはとても大切な基底である。 だから焦らず、微睡む事を大切に ゆっくりと傷と向き合うことが 今の私に出来る事なのであろう。 難しく考え過ぎず、人の温かさを感じながら 歩んでいきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.10.28 20:55:57
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