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カテゴリ:抑うつ感
日によって寒暖の差が激しく、
身体がうまく適応していない。 昨日は比較的暖かかったが、 今日は鼻がツンとするような 冷たい夜風が吹いていた。 でもそんな澄んだ風を全身で受け止めると、 何となく嫌なものも一緒に吹き飛ばして くれそうな感じがする。 フリースのポケットに手を突っ込んで 大股で歩いた。 平日は車通りの多い道であるが、 休日は閑散としているので 歌を口ずさみながらスーパーへ向かった。 最近よく唄うのは、Co○coの 『ポロメリア』である。 歌詞に、メロディーに、こころが共鳴する。 お薬はきちんと規定量を服用して眠ったのに、 今日はぶつぶつと断眠する日であった。 しかし目が覚めてしまっても、またお蒲団に 包まって、目を閉じていると自然に夢の世界へ 入っていったのである。 不思議な夢を見た。世界の上下が逆転していて、 地面が頭上にあり、空が下にあった。 身体はもちろん地面側にあるのだが、 自由自在に飛び回り、ピンチに陥っている人を 救おうと必死になっていると言う夢であった。 そして16時半頃目が覚めたのであるが、 ゆっくり温かいミルクティを飲み、 一服していると、またうとうとしてきたので、 もう一度お蒲団に入り、1時間ほど寝入った。 以前の私であれば、時間に余裕があると すぐに過食を始めようとしていたであろう。 それ程までに何か苛々ムカムカする心持ちであり、 その想いを過食嘔吐する事で 収めようとしていたのである。 今の私は、そこまで苛々する事は無く、 うとうとと微睡む事が出来る様になった。 何も考えず、ぼんやりとしている事が心地良い。 ふかふかしたお蒲団でゆったり身体を横たえると、 心身共にリラックスしていくのを感じる。 過食と嘔吐をするよりはマシな過ごし方である。 けれども、ブログを綴り終わった後に行なわれる 過食と嘔吐は止める事が出来ない。 「食べて、食べて、沢山食べて、全て吐かねば」 と言う想いはいつもの如く付き纏うのである。 そして過食と嘔吐をする事で、沸々とわき出す 様々な苦しみや哀しみ、心細さや虚しさを 宥めているのであろうと感じる。 過食と嘔吐という症状は、普通の健常者から 見たら、物凄く異常な行為なのであろう。 けれども私にとっては、当たり前の事となっている。 この症状があるからこそ、こころの平穏を保てている と言っても過言では無い。 でも、身体には多大なるダメージが加えられて いる事を痛感している。 「何故普通に食べられないのか!」 と私はいつも自分に詰問する。 しかし、言い訳もそれらしい答えも出てこない。 「私は太りたくないから食べないし、 こころの中のぐちゃぐちゃした感情を 吐き出したい為に沢山食べて排出する」 と言った馬鹿馬鹿しいほど単純な理由なのである。 でも、普通の人であれば、自棄食いしても吐き出さないし、 他の方法・・・例えばスポーツなどで様々な事を 発散するであろう。 いつの間にか、私にとって過食と嘔吐は こころを整理する為に必要不可欠なものと なっていったのである。 上記の事を考えると、抑うつ状態に陥る。 どうして私はこんな病気になってしまったのか。 何故私はこの様な方法でしかこころを整理できないのか。 そして、この病気の所為で色々な事が制限されている。 『辛い』『苦しい』 等と言う状態が後々残るのに、 完全にこころのもやもやを昇華させる方法に 過食と嘔吐を選択してしまった。 カウンセラーの言葉で、 「今は、本当に苦しいと思う。今はね。 でもこれから先、何があるか分からない。 だから今は苦しいかも知れないけれど、 諦めてはいけないし、希望もあるんだよ。 その未来があるからこそ、僕はあなたに会って 話をしているんですよ。」 というものが心に深く残っている。 大学生の頃は、過去も今も目先の事も 『真っ暗闇』 であり、希望なんて言葉は空言の様に思えた。 けれども今、心身をゆっくり休められるようになって、 少しずつ明日へ向かって歩いているのだという感覚を 刻めるようになってきている。 何よりも、無理をしない事が一番大切な事であろう。 以前と違うのは、母が私の事を少しでも理解しようと してくれるようになって来た事実であろう。 妹と同居していた時は、妹達が最優先になって、 私は唯の『金食い虫』としか見られていなかった。 こころのない人間、唯食べて吐くだけの人間としてしか 捉えられていなかった。 でも、母と2人暮らしをするようになって、 お互いを慮る余裕が生まれて、母は優しく接して くれるようになったのである。 これは本当にありがたい事である。 うつ病に因って、スーパー以外外出できない事で 母を心配させている事は忍びないが、 リストカット・アームカットを全くやらなくなった事は 母に安心感を与えているようである。 毎日の様に手首を切り刻んでいたのに、或る日を境に ぱたりと止んだ。何も特別なことは無かったが、 母と温かい接触を持つことによって、きっと 手首や腕で苦しみを表現する必要が なくなったのであろうと感じている。 きっと明日はやってくる。時間は止めようも無い。 その明日が平穏な1日であるか、苛々する1日であるかは 分からない。しかし、私は甘んじて明日を迎えたい。 無理をし過ぎない事を自分に言い聞かせながら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.12 21:00:15
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