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カテゴリ:診察・カウンセリング
眠る頃、空は段々と明け始め、
起きる頃、空は静かに暮れていく。 それはゆるりゆるりと飽く迄 ひっそりとしている。 外気の温度も下がり、 お蒲団の中にいつまでもいたいと想う。 ふかふかで心地良く温かく 身を守ってくれている感じが とても心地良いからであろう。 眠っていれば、過食と嘔吐を する事もないし、微睡みの中にいれば 過食衝動に煩わされることもない。 座椅子にぐったり身を任せて、 温かいミルクティを飲む事。 そうしている時が、起きている中で一番 楽な時間かも知れない。 夜が更ける頃になると、否も応もなく 過食そして嘔吐をしなければ ならないとまで想ってしまっている。 もう強迫観念であり、強迫行為と なってしまっているのであろう。 今日の電話診察で気付いたのは、 『私の心にあるのは“痩せ願望”なんて言う 生半可なものではなく、“恐怖と支配”である』 と言う事である。 「痩せたい」と言う気持ちに終わりは無い。 毎日切に願っている事である。 生活に支障がでる程までに、思い詰めている。 これを唯の“痩せ願望”と一言で 片付けるには、リアリティに乏しい。 私は、“太る”と言う事に 何よりも恐怖を抱いており、そして 自分の身体をコントロール下に置く事で、 支配しようとしているのであろう。 思い詰めると、他のものが何も見えなくなる。 身体を壊しても、生活に支障をきたしても、 私はいつまでも『痩せる事』に 拘っているのだと想うと、辟易してしまう。 先日の火曜日、少し温かい出来事があった。 その日は徹夜でカウンセリングと診察を受けに行き、 心身共にぐったりとなって帰宅した。 しかし弟が家に来ていて、母の部屋で眠っていた。 母も日頃の仕事で凄く疲れている為、 私の蒲団で一緒に横になった。 1つの蒲団に母と一緒に横たわり眠るなんて 幼い頃以来の事であろう。 だから最初は少し違和感を覚えたが、 横で寝息を立てる母を感じると 次第に落ち着き、私もいつの間にか 眠りに落ちていた。 時間にして1時間程度であったが、 母の温もりを感じつつ眠れた事は 発見的体験であった。 主に摂食障害を患っている人は、 親との意思の疎通が思うようにいかない 場合がある事が多いと感じる。 しかし添い寝と言う形をとって 物凄く身近に母を感じると、 「ああ、温かい。私はこの人から生まれて 今まで育ってきたんだ・・・。」 と言う想いに溢れた。 25年間、毎日側にいる私を産んでくれた 『母』と言う存在が、胸に温もりを残す。 だから、私は『死んでしまいたい。消えてしまいたい。』と 想っても実行には決して移せないのであろう。 母を残して死ぬことは出来ないと感じ、 それを想うと胸がとても痛む。 母は、私がいるから働けるし、生きていけるし、 支えられていると言っている。それに対しては 少し荷が重く感じ、辛く想う事もある。 けれどもそう思ってくれる事はとても嬉しい。 私も母がいるから、生きていけているのである。 心から感謝の念を忘れずにいたい。 子どもの頃からの環境そして生き方で、 私はすっかり心を凍りつかせてしまった。 そうしている方が、ダメージが少ないからであろう。 生き血の通った心のままでいると、 ちょっとした傷で大量に出血してしまいそうである。 しかし、凍りつかせてしまった事で、 厄介な事も沢山引き受けねばならなくなった。 でもきっと大丈夫であろう。私はそうして 生きてきたのであるから。 ただ、いつまでも凍りつかせておく訳にはいかない。 ゆっくりと時間をかけて融解させ、 傷付いて血が流れ出ても、それを真正面で受け止めて 受け容れて、様々な事を考えられる人間になりたい。 そうして自然体でいられる自分へ向かっていきたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.25 02:34:12
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