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カテゴリ:想い
比較的暖かい気候で、
しとしと優しく雨が降っていた。 もう直ぐ11月も終わるというのに、 季節外れの暖かさに 体調がついていけないでいる。 しかし12月に入ったら一気に 10度ほど気温が下がるようである。 いよいよ本格的な冬を迎え、 ホットミルクティが身体中に 柔らかく染み渡るのであろう。 秋が終わる頃、いつも想う。 「また今年も病気は治らなかった・・・。」と。 正確に述べれば、私の摂食障害は、 13歳の時ダイエットを始めた頃から 罹患していたのであろうと感じる。 夏の夜、厚着をして1時間程ウォーキングをして 食べ物を最低限に抑えた。肉類や脂ものや炭水化物を 殆ど摂取せず、お腹が空いたらミネラルウォーターを 大量に飲んで誤魔化していた。 食べないのだから、痩せていくのは当たり前であろう。 1日小さなパン1つで過ごした拒食期もあった。 目標体重になった途端、食事制限を止め、 今までの様に食べ始めたら、当たり前であるが 1日1kgずつ体重が増え始めた。 そしてまた拒食して、とうとう我慢の限界が来て スナック菓子を一気に食べた。 あの時の後悔を、12年経った今でも痛い程覚えている。 私はその後嘔吐した事から、 摂食障害となった。 苦しかった。哀しかった。 まだこの病気は、昨今の様にポピュラーなものではなく、 理解される事なんてなかった。 食べ始めたら止まらず、嘔吐も 殆ど出来ない時期があった。 只管食べ続け、勿論5kg位リバウンドした。 そうして毎日の嘔吐が当たり前となったのである。 あの頃、『食べ過ぎたら嘔吐するしかない』 と言う歪んだ意識さえ持たなかったら、 今頃どうなっていたであろうか。 また元の太った私として僻みや妬み、 自分に対する嫌悪で悩んでいたのであろうか。 また、何もかもやる気をなくして 高校に行かなかったかも知れない。 今ある答えは、 自分が納得できる程痩せて、色々な興味が 溢れたからこそ、高校を卒業し 大学に進学して卒業できた・・・。 と言う事実しかない。 その間、本当に様々なことがあった。 嬉しい事、二度と思い出したくもない哀しい事、 楽しかった事、愛する事を覚え、大失恋をした事。 私の歴史の半分は常に、摂食障害と共にあった。 そして今もあり続けている。 だからなのか、この病気と別れた時の自分を 想像する事が出来ない。 此処で大切なのは、母の存在であろう。 病症が出てきた初期の頃は、全く理解が 得られず、食べ物を隠されたり、 沢山食べると叱られたりした。 けれども今は、主治医と話し合う時間を 持ってくれるまでになった。 母には感謝してもしきれない。 ただ、沢山ビールを飲むので母の身体が 凄く心配である。 訪問介護のお仕事も、体力を使うものである。 もしも私が健康になったら、少しでも母の助けに なりたいと想う。 温かく見守ってきてくれたお礼に、 温泉旅行をプレゼントしたいと 切に願っている。2人で楽しみたい。 また、その想いが明日への希望に繋がるのである。 辛苦に満ち溢れた日々でも、小さな部分に目を向けたら 以外と幸せな事も転がっているものである。 母と沢山会話が出来たり、主治医やカウンセラーとの対話で 新たな発見をしたりと様々な事がある。 1日1日だけを見つめると、大した変化は無いが、 1週間、1ヶ月、1年と言う長さで自分を見つめ直すと 結構変化があるのに気付く。 相変わらず私の病症は重い上に、うつ病までも併発している 苦しくて哀しくて虚しくて仕方ない状態であるが、 そこで何もかもを諦めてしまっては 全ておしまいになってしまう。 私の出来る事は今、焦らずゆっくりと心身を休ませて 落ち着いた心持ちでいるという状態を 持続させるくらいであろう。 もうこれ以上頑張る事は難しいけれど、 努力だけは怠らないようにしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.27 20:31:15
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