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カテゴリ:抑うつ感
夕方目が覚めたら、昨日よりも増して寒く
冷えた部屋で一人きりという孤独に うら寂しい想いが広がった。 取り敢えず、熱々のミルクティを作り、 身体の中から温まった。 一服している内に、やっとシャワーを浴びる 決意が出来たので、予め熱湯を流し お風呂場を暖めてから、身体を清めた。 私は冬でもシャワーしか浴びないので、 どうしても冷えがちである。 しかし、最後に冷水を浴びると、 暖かさは意外と持続するのである。 なので慌てて水を浴び「冷たぁい」と言いながら 全身に冷水を浴びせる。 これは最早習慣となっているので 欠かせない。 しかしながら、最近何故か心は晴れない。 もっと笑顔でいたいと想うのに、 気が付いたら溜息を吐いている。 溜息の分だけ幸せが逃げていくと よく言われているが、だとしたら 私には幸せなど残っていないのかも知れないと 一人自嘲する。 もう、摂食障害との付き合いに 疲れてしまったという想いが強い。 毎日の過食嘔吐に辟易している。 けれども毎日やらねば気が済まない。 その行為に因って千切れてしまいそうな 心身を、一時忘れていられるからであろう。 中学生の時、ダイエットを始めた頃から、 「痩せたい、もっと痩せなければ」 という観念が持続している。 ちょっとお腹が出てきたり、ボトムスの ウェスト部分がいつもよりぴったりしてしまうと 激しい自己嫌悪に陥る。 これ以上痩せる為には、お酒の量を減らし、 徹底的に嘔吐せねばならない。 でも、私にとって『お酒』は 唯一こころを楽にさせるものであり、 酷い抑うつに陥るのを防いでいるものでもある。 過食嘔吐に関しても、その時食べた物や 体調の如何によって徹底的に出来るかどうか 違ってくる。 私にとって太る事は物凄い恐怖なのである。 これだけはいつまで経っても変わらない。 痩せていても、身体が辛い上に体力も殺がれて 良い事なんて一つも無い。 それに、私の認知は歪んでいるから どんなに痩せても太っているように感じる。 この問題は少しずつ時間をかけて解決して いくしかないのであろう。 今夜、余りの寒さに母と相談して ワンカップの日本酒を熱燗にして 2人で飲む事にした。 日本酒は余り好きではないが、 あの熱い日本酒に少々咽ながら、 ゆっくり飲み干すと、 温かさが胃から全身に広がっていく。 母と2人、「温まるねぇ」と言いながら 分け合って飲んだ。 こうして1つの体験を共有する事は、 なんだか心までほかほかする。 『役割分担をするのではなく、共有する行為を 大切にする事』 が今の私にとって一番大事なのかも知れない。 それにしても今日は格段寒い日であった。 ヒーターの側にいても、手先足先はかじかんでいる為 タッチタイピングが鈍ってしまう。 でも、日本酒を少し飲んだお陰か、まだ少し ぽかぽか効果は残っているようである。 12月に入ってから、スーパーではクリスマスソングが 流れ始め、花屋でもクリスマスらしい装飾が 見られるようになった。 私は無宗教であるが、高校はキリスト教プロテスタントの 教えの下にあったものなので、聖書の言葉は幾つか覚えているし クリスマス礼拝があり、賛美歌を唄った事もあったと 懐かしく想う。卒業式も、『国家』・『蛍の光』や 『仰げば尊し』は唄わず、全て賛美歌で彩られていた。 今年も残り1ヶ月となってしまったが、 年末には祖父母の家で餅つきがあり、 祖母・母・私という3世代で熱々のお餅を 丸める。その行事がとても楽しみである。 こうして『共に何かをする事』を もっともっと大切にしていきたいと感じる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.04 21:08:33
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