|
カテゴリ:想い
闇に浮かぶ満月が明るく、
とても美しいと感じた。 少し視線を上げて歩いていると、 木にささやかなイルミネーションを 飾り付けてあるのを見つけた。 一色で滑らかに光るシンプルなもので あったが、もうそんな季節なんだなと 改めて実感した。 少し、心が軽くなった。 空は澄み、星は輝き、冷たい風が吹く。 冬を身体全体で受け止めながら スーパーまでの道程をのんびり歩くのも 悪くない。 まだ昨日の疲れを引き摺っていて、 胃が少し痛む。 けれどもたっぷりと眠れたお陰で 心の方は幾分楽になってきている。 夕方になると冷えてくるので、 母が気遣ってエアコンを付けておいてくれたのが なんだかとても嬉しかった。 昨日はカウンセリングの内容について綴ったが、 その後の主治医との診察でも、心に残る事があった。 それは『うつ』についてである。 ある状態から新しい状態に変わる時、 必然的にうつになるのものである。 だから、うつだと言っても、 それが全て悪い事ではないのである。 今ある苦しく固定された状態から、 新しく生まれ変わるその『変化』に『うつ』は 付き物であると言っても過言ではない。 現に私は、過去の柵・・・父方の家の犠牲から、 脱皮しようとしている。 私が産まれたのは、母が父方の親戚中から苛められ、 父も味方をしてくれず、その状態を打破したいと思っていた。 だから母は自分の味方を付けたい為に 不妊症の治療をして、私ができた訳である。 私の役目は母の味方になり、父方の連中から 守る事であった。 勿論幼い子どもの自分にそんな力はなく、 不器用で臨機応変のできない私に苛立った母は 打擲する事によって躾とし、私や妹・弟を厳しく育てた。 そして小学6年生の頃、両親の罵り合う喧嘩が始まると 私は自然と母の味方をした。 父方から見たら、私は裏切り者と見られていたであろう。 でも何の疑問も持たず、私は父の一方的で自分勝手な 言い分で物を叩き脅し、罵る父を軽蔑した。 それでも私はいつまでも父方の束縛から 逃れられないでいた。 でも、今やっと訣別する時が来たのである。 だから今は変化の時期とも言える。 そうして私はうつ病を患った。 けれども主治医曰く、 「まだうつになりきれてないね。堕ちない様に 無理して元気を出そうとしている」 との事である。 うつが酷くなれば、全てが『受動的』になる。 何にも興味が無くなり、何もする気になれず、 酷くなれば動く事も出来なくなる。 やがて、過食嘔吐も出来なくなるであろう。 しかし私にはこの摂食障害の病症は根深く蔓延って いるので、ストンとうつに落ちていく事は出来ないのであろう。 完璧なうつ病となり、食事も出来なくなって 母から食べさせてもらう事も、点滴を受ける事も 拒否できなくなる。 しかし、新しい自分に生まれ変わるには、 その過程が必要なのであろうと感じる。 今はまだ、能動的に動く事が多い。 勿論うつ病である事は確かなので、 身体が想う様に動かなくなる事もある。 摂食障害から脱皮する為にも、 一旦落ちる所まで落ちる『うつ』が とても必要なものなのであろう。 と言うよりも、主治医は 「うつにならねばならない。とても必要な事」 と仰る。 勿論、『うつ』は途轍もなく辛いものである。 けれどもそれを経て、何か新たな事を得られるのであれば、 甘んじてそれを受け止めたいと感じる。 未来は未知数であり、大きく広がっているものである。 この先何が起こるか分からない。 私の病気は一朝一夕に治るものでは 無いと言う事だけは確かであるが、 1日1日の積み重ねによって 歩む道も様々になってくるであろう。 沢山の岐路があり、そこで立ち尽くす事もあれば、 一休みしてまた歩き出す事もできる。 勇気を出し、可能性を捨てなければ ゆっくりとでも歩いていく事は出来る。 大切なのは無理を避ける事と、努力を怠らない事であろうか。 たった2つであるが、これはとても難しいものでもある。 私の周りにいて見守っていてくれる人々・・・特に母には 感謝の念を忘れず、大きな壁にぶつかったとしても、 私は私を想ってくれる人達の為にも、 直ぐに諦めて何もかも放棄する事は 一旦止めてみたいと想っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.06 20:30:52
[想い] カテゴリの最新記事
|