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カテゴリ:診察・カウンセリング
夕方、いつもより少しだけ早い時間に
目覚め、眠気覚ましの為に 熱いミルクティーを入れる。 寒い部屋、ファンヒーターの前で 温まりながら、ゆっくりと 甘いミルクティーを少しずつ飲む。 ぐっすりと眠れた日は、 こころも少しばかり軽い。 睡眠の大切さを思い知らされる。 問題なのは、強いお薬も入れて 数種類の就薬を服用しないと 寝付けない事である。 私は子どもの頃から寝付きが悪く、 お蒲団に入って何時間も冴え渡る意識に 悩まされていた。 今は、入眠しやすい軽いお薬と、 睡眠を持続させる強いお薬数種とで ぐっすり眠れている。 夕方のニュースで、『うつ病』について 特集をしていた。これはローカル番組で やっていたものであり、私が住んでいる地域でも この様な問題を取り上げる事に 少し驚いた。 『うつ病』の症状が挙げられて、 それに殆ど当てはまっていた。 それが2週間以上続いていると 『うつ病』と診断されるそうである。 私の場合は、主治医にもそう診断されているので 興味深くそれを観ていた。 自分の素質として、『うつ』の要素は 子どもの頃からあったように想う。 それが摂食障害が酷くなった事によって 前の方に出て来たのかも知れない。 ネットで調べ、挙げられている主な症状にも 殆ど当てはまってしまう。 閑話休題。 今日の電話診察では、やはり 『人の持つ可能性は簡単に諦めてはならない』 という事が明確となった。 特に母が潜在的に持っていた可能性は 私と2人で暮らすようになって、 溢れ出てきたように感じる。 同時に、私の持つ可能性も母と過ごす内に お互いが良い刺激をし合って 花開く頃が来るのであろうと 少し淡い期待を抱きたくなってしまう。 実際、1日7~8回やっていた過食嘔吐は 2回にまで落ち着いた。 この症状が酷かった頃は、こころに 余裕なんて無くて病人にもなりきれず、 食べて吐いて疲れて眠り、起きたらまた食べて・・・ という繰り返しであった。 その間に大学へ通い、卒業した後は仕事へ行き・・・ 心身共に落ち着く時間など皆無であった。 それが今や、ゆったり出来る時間がある。 静かにDVD鑑賞をしたり、 音楽を聴いたりしている。 これはこころに栄養を与えているようで 自分にとってプラスに働いているであろうと 感じている。 こころが荒んでいた頃、全てが虚無であった。 食べて吐いて、やらねばならない事だけこなす 人形と言うかロボットのような感じがした。 けれども今は、この胸の中に『こころ』が 確かに存在している事を感受出来る。 自分1人の力ではこの様な状態には なれなかったであろう。 母との関係が良好なものになるにつれて、 良い刺激をし合って、甘え甘えられて 出来上がった事実なのであろう。 そして勿論、ここで私の事を励まして下さる 皆様の力も凄く影響している。 とてもとても感謝している。 未だに摂食障害が『病気』である事を認められない 人が多いと感じる。心の持ちようだとか、 食べなければ良いとか、平然と言ってのける人が居る。 また、患った本人も中々『病気』であると受け容れられない 場合もある。 現象を見ていると、この病気は“食べる事に対する行動障害”や “痩せても痩せても痩せねばならないと考える認知障害”が 明らかである。しかし大切なのは、その上辺に見られる 症状だけを論っても仕方ないという事である。 物事の本質をもっと見極めねばならない。 その本質を見るとき、きっと思い出したくもない傷や 辛苦、虚しさ、哀しみが浮き彫りになるであろう。 そこで自分を責めるのではなく、飽く迄も こころを大切に大切にしなければならない。 そうすれば、光も差し込んでくるであろう。 また、前を見る力も出てくるであろう。 だから、私は諦めたくはない。 どんなに辛くとも苦しくとも、今は病気と共に 生きるしか術はないのであるから、 『可能性』と『希望』を捨てずに諦めずに 今を生きていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.08 20:53:19
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