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カテゴリ:想い
つかの間の雨上がりに、
スーパーへ向かって遠回りの道を選び 歩いていった。 吐く息は白く、厚い雲が広がる夜空に 吸い込まれていくようであった。 白い息を吐きながら、歌を口ずさみ 寒さを紛らわせてみた。 そしてふと想った。 『人はいつ死ぬかなんて解らない』と。 人は生まれてきた限り、いつかは死ぬ。 その瞬間は自殺でない限り 自分の死期を知る由は無い。 私は、今この瞬間死んだとしても、 果たして悔いの残らない生き方を してきただろうかと振り返る。 「まだ死ねない」 ・・・そう想う。 もっと勉強したい事は沢山あるし、 読みたい本も山ほどある。 重い病気を抱えたまま、外の世界を知らないままに 死んでしまったら大きな悔いが残るであろう。 ずっと『後悔』の連続を繰り返し 生きてきたのであるから・・・。 摂食障害という重荷を背負っていく毎日。 その負荷に押し潰されそうになる日々。 この病症だけで1日が終わっていく虚しさ。 そしていつもこころを占めている 哀しみ・辛苦・恐怖・苛立ち・焦り・・・。 拭いきれない、これらのマイナスな感情に 飲み込まれてしまい、どうする事も出来なくなる。 そしてどうすれば良いのか分からなくなり、 途方に暮れるのである。 話は変わって。 夢の中に、祖父が出てきた。 その姿は、脳出血で倒れ酷い認知症を患う前の とても健康で元気な祖父であった。 凄くてきぱきしていて、美味しい料理を 振舞ってくれた。 祖父は船乗り時代新人の頃、賄い料理を作っていた為、 とても美味しい料理を作るのである。 私は夢の中で過食嘔吐の事など全く考えず 「美味しい!ありがとう!」と 祖父に言いながら2人一緒にぱくぱくと食べた。 確かお野菜たっぷりのナポリタンだった気がする。 これは現実でも摂食障害になる前祖父に振舞って もらった料理でもあった。 今の祖父はポットを火にかけてしまったり、 タッパーの蓋が数種類あると合うものと 組み合わせられなかったりと 心が締め付けられる切なさに襲われる程、 物事が分からなくなってきている様子である。 でも、こうして元気だった頃の祖父は 胸の中でまだ生きているし、 今の温厚で柔らかくなった祖父もまた 大好きである。 改めてそれに気付き、胸の中が温かくなった。 だから、私は大切な人を失うのが恐い。 “祖父が死んでしまったらどうしよう” “祖母が死んでしまったらどうしよう” “母が死んでしまったらどうしよう” と考えるだけでパニックに陥りそうになる。 もし家族を1人でも失ったら 自殺企図をするかも知れない。 年齢で考えると、上述した順番に なってしまうのであろうが、 幾ら『人は生まれた限り必ず死ぬ』という 運命の中にあっても、中々受け容れられない。 唯、後悔しないようにする事は出来る。 その為には、沢山祖父母と会う機会を作ったり 母と共に過ごす時間を大切にするように 心がけたいものである。 様々な想いを抱いている中、私にはこの 『摂食障害』『うつ病』という病気の症状が 疎ましくてならない。けれども病気もチャンスなのでは ないかと考えられるようになってきた。 私はこの様な病気を患わないと、生きる意味や人生について 掘り下げて考える事無くのんべんだらりと過ごして いたであろうと感じる。 人間について、自分について、生きる事について様々に 考えを馳せる内、多種多様の哲学と出合った。 だからこそ『病気はチャンス』であると言えるのである。 勿論、病症は耐え難い程辛苦に満ちたものである。 けれども、私は真っ直ぐ前を向いていたい。 かなり後ろめたい想いもあるが、背筋を伸ばし 姿勢を正して歩いていきたいと願う。 沢山の愛を感じながら、そして愛を与えられるような 人間になれる事を目指して 1歩1歩を大切にしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.09 21:11:33
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