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カテゴリ:想い
今年は一度も海を見なかった。
冬の海は大好きである。 冷たく磯の香りを含んだ風と 定期的に寄せては返す白波が、 ふうわりと私を包んでくれる時間。 もしも海の近くに住んでいたならば、 毎日でも散歩していたであろう。 海は良い。 果てしなく広くて自然の雄大さを ひしひしと感じられる。 特に晴れた冬の海は、 水平線の向こうに沈み行く夕陽が とても美しく見えるのである。 段々と色を変えていく空に、 私の悩みなどとてもちっぽけなものと 感じられるものである。 五感でたっぷりと癒される海は、 命とどこか繋がっているのであろう。 こうして狭い部屋の中1人でいると、 何だか物悲しくなる。 小さな世界で孤独に病気と向き合う。 「いつまでこんな事を続けるのであろう・・・。」 と途方に暮れる。 苦しみながら食べて、苦しみながら排出する。 しかし私はこの症状に敵対意識は持っていない。 これがあるからこそ、私のこころが救われて いる訳であるし、生きる事が出来ているのであるから。 勿論、 「この症状さえなければ普通の女の子の様に 仕事をしたり遊んだりファッションを楽しんだりと 様々な悩みを抱きながらも凡常でいられるのに・・・。」 と夢見てしまう事もある。 けれども、私はこうなる事が運命であったのだと 自分に言い聞かせるしかない。 病気を患った為に、失ったものも沢山あるが、 得たものも多い。特に母の優しさがこんなにも 温かいものであった事を、気付けたのは大きな 収穫である。そしてここの方たちの優しさや、 周りの人々の温もりを切実に感じられる。 本当にありがたい事である。 所が、毎日過食嘔吐を続けていると、 全てが空々しく想えて虚しくなる。 この想いは、胸にぽっかりと穴が開いていて 隙間風がそこを吹き抜けている感じがする。 多分、それを埋めようと食べ物で補っているのかも 知れない。でも、食べ物では埋まらない。 無駄に足掻く事を止めて、私はこの穴を 無理やり埋めようとせず、 『空虚な部分があるのも自分』 と受け容れる事が大切であろう。 この状態であることも『私』なのであるから。 無理して取り繕ったり、空元気を出したりする 必要は無い。しんどい時はしんどい。 笑える事があればお腹を抱えて笑う。 疲れた時は横たわって身体を休める。 そんな普通の事が普通に出来れば、 それだけでも『自分は自分である』と 確かめられる。他の何ものでもない、 自分は自分なのであるという当たり前の事を どうしても忘れがちになってしまうから・・・。 そして偶には好きな映画のDVDを鑑賞したり、 録り溜めたドラマを観たりする事も、 自分にとってご褒美となる。 そうして、いつもいつも自分を責め抜くのではなく、 こころを労わりたいものである。 『病気と共に生きる』という事は 決して容易いものではない。常に辛苦が付き纏う。 けれども私は幸せな事に、傍で見守ってくれる母がいて、 このブログを読んで下さり、温かいコメントを残して下さる 方々もいる。だから一気にどん底まで落ち込む事無く、 低空飛行でも墜落せずにいられるのであろう。 この病気に対する理解度はかなり低い。 年々低年齢の発症者が増えてきているのにも拘らず、 『うつ病』の様に摂食障害の患者と接する時の 留意点などは知らない人の方が多い。 そして自分の病症、周りの態度に傷つく患者が増え、 どんどん泥沼に嵌っていくのであろう・・・。 これは由々しき事態だと感じる。 私もそれに耐え切れず、毎日死ぬ事だけを 考える日々もあった。 今は、どのようにして病気と向き合い共存し、 生きていく方法を考えている。 答えなど一生出てこないものかも知れないが、 それでも私は生きるしかないと想っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.18 20:46:45
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