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カテゴリ:想い
充分に眠れたが、目覚めはぼんやりとしていた。
まるで泥沼のような夢から抜け出せた 小さな子どもがそこに居るみたいであった。 テレビを点けてニュースを観ていると 訃報があり、命を喪う事の儚さと 哀しみを覚えた。 でも私の日常は変わらず、 紅茶に豆乳を入れてホットで飲み、 一服をして1日が始まる。 昨晩、派遣登録をしている会社から 仕事の紹介があった。 それはとても魅力的なものであった。 フリークーポン雑誌のお仕事と、 結婚情報誌のお仕事であった。 これはどちらとも 『取材をして文章を書く』 と言うものである。 私は将来、文章を書く仕事を生業としたいと 心の底で想っていたので、凄く惹かれた。 そして派遣会社の社員さんが、 やる気があるのならば、カウンセリングがある 火曜日を休日として掛け合ってくれるとも言った。 「この仕事をしてみたい」 と強く想った。特に結婚情報誌の方は、 結婚式場で新郎新婦に取材をして、 文章を創り出すものであったから、 とても興味があった。 しかし、ふと今の自分の状態を考えた。 近所のスーパーへ行くだけでフラフラになる身体。 貧血と栄養失調で弱っている身体。 生きていくだけで精一杯の現状。 摂食障害と共にうつ病を患っている自分。 etc... どう考えても、今仕事をするのは 時期尚早であると判断した。 こころで大泣きしながら、 お断りの言葉を伝えた。 そしてその後、自分をきつく責めた。 「何で私は病気なんだ!」 ずっとこの言葉がリフレインしていた。 規則正しく生活して、きちんと食事をして栄養を摂り、 健康な身体であれば、この機会を活かせた筈である。 偏に、自分の情けなさや脆弱さがチャンスを潰した。 私がそうして派遣会社の方と電話をしているのに 気付いた母が、いつの間にか傍に来ていた。 私が事の顛末を話し、自分の病気や脆弱さ、 怠惰な生活がチャンスを潰したと 告げると、母は温かい言葉をかけてくれた。 「今は仕様が無いよ。こんな状態だし、病気なんだし。 でもね、チャンスはまだあるから。それまでに 自分の病気を治そうとか、頑張って食事をしてみようとか そういう努力が出来ていくといいね。」 そう言って、私を抱き寄せ頬に優しくキスしてくれた。 子どもをあやすように「大丈夫、大丈夫。」と 抱き締めながらゆらゆらと身体を優しく揺らして、 私が泣き終わるまで傍に居てくれた。 もしその時、母が居なくて自分1人であったら、 いつまでもいつまでも自分を責め抜き、 どうしようもなかったであろう。 母の手が、腕が、胸が温かかった。 それはどこか、とても懐かしい 温もりであった。 働けない私を叱咤せず、仕方の無い事と 理解を示してくれて、こころが救われた。 これは以前の母では考えられなかった 事である・・・。 摂食障害に対する理解は、 普通の人にとってはとても難しい。 だから、翻訳が必要である。 『千と○尋の神隠し』に登場する “顔なし”が、それなのである。 物語の中で、「寂しい」と 暴れ回る“顔なし”。金の粒を溢れ出させて 次々に出されるものを食べ尽くしていく様子。 「千尋が欲しい」と肥大化しても食べ続けて 欲するものを追いかける様子。 “顔なし”の一連の行動や思念は、 摂食障害の症状や想いだと言っても 過言ではない。 『寂しさ』を埋める為に 試行錯誤して暴走し、自らを止められない状態。 「温もりが欲しい」という願望。 それを『食べる』と言う行為で代替している。 “顔なし”が元に戻ったのは、確か千尋が持っていた 苦玉を食べさせたからだったと想う。 それによって身体の中に取り込んだもの全て 排出して“顔なし”なりの正気を取り戻した。 私は、苦玉が無くても排出している。 それを毎日続けている。 きっと、その苦玉が私にとって何かと言う事が 重要な事なのであろうと感じる。 私の主治医も、摂食障害の人たちを診る時、 私が夢で見たその“顔なし”の様子や 『千と○尋の神隠し』の物語が翻訳として こころを見つめる事が出来る様にになったと 仰っていた。 私にとっての苦玉は一体何なのであろうか。 『生きていくだけで精一杯』・・・それが私の 状況である。毎日病状に苦しみ、哀しみ、虚しさを覚え 1日が始まり終わりゆく。 しかし精一杯でもどうにか生きられているのは、 周りの人達の“支え”のお陰であろうと感じている。 それに対してこころから感謝している。 胸の中がどうしようもなく軋む時、 そっと「ありがとう」と呟いてみる。 そうすると私を支えてくれている人達が思い浮かび、 生きていく勇気が湧いてくる。 後は自分の努力が必要である。 それに関してはゆっくりと考えていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.20 20:52:20
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