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カテゴリ:診察・カウンセリング
昨年の12月22日から、
ブログを綴り始めた。 つまり今日で丁度1年目になる。 飽き性の私が、1年休む事無く 毎日続けられた事が素直に嬉しい。 これは偏に、私のブログへ訪問して下さった方々、 そしてコメントで暖かい励ましのお言葉を 残して下さった方々のお陰である。 心から本当に本当に感謝している。 本当にありがとうございます! これからも日々精進してゆき、 自分を見つめ直し、磨いていきたい。 金曜日は電話診察の日であるので、 少し早めに起きていつもの飲み物で 身体を温め糖分と蛋白質を補給して、 目を覚ました。 今、主に頭を悩ませているのは、 『いつまでこの温かい状況が続くのであろう。』 と言う事である。いつかまた あの凄く生きるのが辛かった頃に 戻るのではないか、 また『死ぬ事』ばかりを考える日々が やってくるのではないかと 物凄く不安なのである。 この平穏な日々が崩れ落ちていく時を想像すると哀しい。 そうして不安だったり、哀しかったりするのは、 至極当然の事なのかも知れない。 まだ、温かい環境になってからの期間は短い。 いつ崩れ落ちてもおかしくない。 そして、これまで私は 「苦しくなったらいつでも死ねばいい」 と『自殺する手段』を手元に残し、 逃げる道を作っていた。 しかし、母が温かく接してくれるようになり、 家での居心地が良くなったので、 『死』に逃げる事は出来なくなった。 これも不安要素の1つである。 過食と嘔吐の苦しみも、うつ病の辛さも 甘んじて受けるしかないのであろう。 どうしてこんな大きな不安が 生じるかを考えてみた。 やはり、小さい頃から『共に』と言う経験が 乏しかったからであろうと感じる。 人と共に喜び、怒り、哀しみ、楽しむ事は殆ど無かった。 全て1人で抱えていたものである。 つまり、孤独であった。 喜怒哀楽の感情を人と共に感じられるようになる事が、 きっと病気の寛解へ繋がるであろうと感じる。 主治医に、火曜日の夜電話で派遣会社の方と お話した事を話した。 勿論今の状態で働けない事は、当たり前であるので きちんとお断り出来た事は良い事だと言われた。 でもその時、母が傍に居てくれたというタイミングは まさに神様が巡り合わせた事としか言い様が無い。 そこで、「働けなくて悔しい」と母と共に泣けたら 凍えたココロが癒され、とろけていったであろう。 でも、母の胸に抱かれただけでも充分こころは 満足した。 そこで、先日綴ったように 「この仕事をしてみたかった」 と想えた事は、『発見的体験』であると言える。 そうして仕事を断らざるを得なかった状況は、 物凄く悔しかった。また、以前の自分であれば 自分を物凄く責め抜いた上に、リストカットをしたり お酒の暴飲をしたり、ODをしたりしていたかも 知れない。それが無かったのは、母が 傍にいてくれて、私の中の暴れそうになる “顔なし”と共に母が『よしよし』と頭を 撫でて慰めてもらえた安心感があったからこそで あろうと感じる。 母に心配ばかりかけて悪いと想っているが、 それでも見捨てず私の事を見守ってくれる姿勢が とても嬉しい。 閑話休題。 さっき、1年前の今日のブログを読み返してみた。 今もまだまだであるが、とても拙く 読み難い綴り方をしていた。 日を重ねる毎に、自分でも読み易くなるように 改良を重ねてきたつもりであるが、 何分長文を綴っている為に、 さらに改良する余地は大いにある。 これからも、もっともっと勉強を重ねて 文章の綴り方や想いの伝え方について 努力をしたいと想う。 これからのキーワードは、 『共に様々なものを感じる事』 であろうと感じる。 摂食障害を患っていると、どうしても 孤独である時間が長くて、簡単に出来るものではない。 しかし、心掛ける事は出来る。 その点に関して努力を積み重ねていきたい。 ブログを始めて1年。最初の頃は周りの様々な 出来事に振り回され、落ち着く暇が無かった。 けれども今は、いろんな問題も解決した事もあり、 随分と落ち着いている。 病状は殆ど変わりなく、相変わらず1日2回過食嘔吐を しているが、あの頃より少しは前へ向いて進めたのではないか という確実な想いがここにある。 何をしていなくても明日はやってくるように、 自分も状況によって様々に変化していくのであろう。 じわじわと良い方向へ変化したり、 また悪い方向へ変化したりする事もあった。 進んだり退いたりしながらでも、 こころの穏やかさを保ちつつ 轍を残し、新しい軌跡を作り、 病気の寛解を目指しつつ歩いていきたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.22 21:06:27
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