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カテゴリ:診察・カウンセリング
夕方、携帯電話のアラーム音で
目が覚めた。 実に10日振りの電話診察の日で あったからである。 起床したら家に1人で、 がらんとしていて何だか寂しかった。 静かな家でゆっくりと身体を温める為 ホットドリンクを少しずつ飲んだ。 豆乳を飲む習慣は相変わらず 続いていて、少しは肌の調子が 良くなってきた。 毎日過食嘔吐をするので 顔の浮腫みは中々取れないが、 僅かでも野菜ジュースや豆乳を 飲むなどして栄養を摂れるように なった事は、進歩かも知れない。 『寂しさ』と『哀しさ』・・・。 子どもの頃から、抑圧されて それらの感情を無理矢理無視してきた気がする。 特に両親が離婚した後は、 「お前がお母さんを支えるんだ」 と言い聞かされて育った為、 泣いたり不安になったりする暇は無かった。 大人にもなって1人で居る時に寂しさを覚えたり、 哀しさを覚えたりする事こそ 病気であるとされてしまうが、 今の私のように、『寂しいときは寂しいと認める』 と言う事が当たり前なのである。 だから、この感情を大切にしたい。 昔の母は、ここで何度も記したように 鬼だと感じる位恐い人であった。 しかし、今の母こそ本来の母だと想える。 それは、私が子どもの頃、母が父方の親戚中から 苛虐に遭い、嫌がらせを受け、父は母を庇う事は 無かった事実に由来する。 四面楚歌の状態で、実家に帰る事も出来ず、 子どもを抱え、物凄く苦しい状態であったであろう。 そしてそんな親戚達の前に私を出しても 恥ずかしくないように、躾が行き過ぎ 虐待となってしまったのであろう。 顔をぶたれて鼻血が出てもぶつ手は止まらなかった。 胸倉を掴まれて呼吸困難になった事もある。 どれも私が些細な粗相をした事が理由であった。 想い出していくと頭の中が暴走して その頃の恐怖が甦るのでここで留めておく。 そこで、 『そうしなければいられなかった母』 を理解する事が大切なのである。 人が人を『赦す、赦さない』と言う事は 何だか驕り高ぶっている気がする。 だからその頃の母の事を、 私は“赦す”のでは無く、“弱さとして理解する”と言った 考えが必要なのであろうと感じる。 最近、訳も無く寂しくなったり哀しくなったりすると、 母の手を握りたいと想う。 母と手を繋ぎたいと感じる。 この年齢でそれをするのは何だか 恥ずかしい気がして躊躇っているが、 主治医曰く、 「恥ずかしさはあっても、誰も見ていないんだから 手を繋いだっていいじゃない。今のお母さんなら、 あなたのその恥ずかしさを含めて理解し、 手を包んでくれると想うよ。」 と言う事らしい。それを買い物帰り、 それとなく母に話したら、 「いいじゃない。幾らでも手を繋ごう。 恥ずかしい事じゃないよ。私も繋ぎたいよ。」 と言ってくれた。こころの奥底まで、 温かさが染み渡っていくのを感じた。 過食嘔吐に走っている自分は、 常に1人であり、孤独である。 そして『恐怖』や『不安』が付き纏う。 それに対応したり、耐える為には勇気が必要である。 毎日、変わらない日々を送っているようでも、 何らかの刺激があり、その流れに沿う事も 必要であると主治医から聴いた。 そして母は、 「人生、楽しい事ばっかりじゃつまらないよ。 嫌な事や辛い事も沢山あるかもしれないけど、 だからこそ喜びを大きく感じ取れるんだよ。 まだまだ生きていたら何が起こるか分からない。 だから諦めたり自殺したりしたら勿体無いよ。」 と言っていた。その通りかも知れない。 ただ、苦しい事の方が今は多くて、 押し潰されそうになってしまうのであるが・・・。 でも、私は尊厳をもって生きたい。 卑屈になりたくない。 過食嘔吐という、やっている事は 自分を卑下してしまうものであるが、 それでも自尊心は忘れないでいたい。 こころに問題があるからこそ、身体の接触も 大切だと感じる。それは決して厭らしい意味ではなく、 純粋にハグしたり、手を繋いだりする事である。 甘えるなんてどうしたら良いか分からなかった。 そんな私に『寂しさ』『哀しさ』が 自然発生する事によって 純粋に『甘えたい』と想えるようになった。 それは我侭を言う事でも、自分勝手をする事でもなく、 こころを癒す為のものである。 そして、私のこの手を取って繋いでくれる母の手が そこにはある。 未だ昔の母と今の母とを一致させられないし、 弱さから来る虐待について理解をするには まだ時間を要するが、少しずつ歩み寄りたい。 純粋に、こころの寂しさを吐露し合える 関係になりたいと望んでいる。 それも焦らず、ゆっくりとゆっくりと。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.05 22:08:00
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