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2007.01.08
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カテゴリ:想い
母の思い付きで、突然

夜は居酒屋へ行く事になった。

それは弟が成人式に出席せず、

遊ぶ当ても無いから

妹も呼んで一緒に食事をしようという

発想からであった。

姪は、託児所に預けていたので、

久し振りに両親が離婚した後

4人で暮らしていたあの頃の

メンバーが揃った。







それには感慨深いものがあり、

妹ともフランクに会話を交わす事も出来、

とても楽しい時間を過ごせた。

まだ私に食事を消化する事は無理である為、

過食嘔吐前提であったが、

楽しく食べながら、お酒を飲みながら、

最近の出来事などを話していた。

一番楽しいのはやはり姪の話を

聞く時である。

おませさんで、使う言葉は

大人顔負けである。

特に父が年末、妹へお年玉を渡す際、

妹は断ったのであるが、

「じゃあ、私が。」と姪が言って

受け取ろうとしたのだと言う。

他にも諸々と話をしたが、

本当に姪の言動や行動はとても面白く

明るく楽しい。

そんなおませさんでも、歯医者は

やはり恐いらしく、妹にしがみついて

離れないらしい。

そして乳児の頃から人の耳や自分の耳を

触らないと眠れないのが今もまだ残っていて、

妹が綺麗に家を片付けているのに

眠る前になるとおもちゃを全部だし、

その中で安心したように妹と自身の耳を

触りながら眠るという。

なんて可愛らしいのであろうと感動した。







居酒屋を出たら、カラオケに行った。

実に2年振り位かも知れない。

妹や弟はレゲエを中心に歌っていて、

私の知らない曲が多かったが、

歌詞がとても素晴らしく、面白いものもあり

楽しかった。

私はこっ○や鬼○ちひろ、

矢井○瞳や椎○林檎の曲を

歌った。

弟も妹も声量がかなり大きく、

図太い声をしていて凄く上手だった。

久し振りに彼らの歌声を聴けて

楽しい時間を過ごせた。

母とはサザン○ールスターズのメドレーを

一緒に歌い、楽しんだ。







弟は成人式に出席しなかったが、

あんな小さくて足が短くて

女の子のように目がくりくりとして

可愛かった子どもが、成人したと想うと

本当に感慨深いものがある。

私がいつも妹や弟を心配して

『姉』として生きてきたのに、

今や私の病気を心配してくれるように

なっている。

妹も弟もこころ優しく、温かい。

一時期、妹とは考え方の違いによる諍いや

口論が絶えなかった。

そんな妹が、車の免許を取ったら

全うな職について家を一軒建て、

皆でまた住みたいと言っていた。

そして私が家にずっといるのは勿体無いからと

「姉ちゃんをどんどん外に連れ出すからね!」

と張り切っていた。

そんな妹を頼もしく想えた。







8日月曜日の私は、うつの波に飲み込まれず、

少し解離状態に陥る事はあれども、

「楽しいな」

と想える時間を過ごせた。

それは偏に居酒屋へ行くことを思い付いた

母のお陰であり、カラオケに行こうと提案した

妹のお陰である。

かなり疲れたことだけは否めないが、

あんなに笑ったのは本当に久し振りであった。

それが一番嬉しい。







しかし、少し哀しかった事もある。

やはり、父は未だ私だけを蔑ろにしていた

という事実である。

昨年末、食事に誘ったのは妹と姪と弟だけで

あったし、関わりあっているのも

妹と姪と弟だけである。

私には年賀の挨拶も、顔を見せる事も、

話をする事もなかった。

年賀状を出しても、何の返事も無い。

父としては、母の味方に付いた私が

憎いのかも知れない。

私も、母を酷い目に合わせた父を

赦す事は出来ないし、まだ理解もしたくない。

只管、虚しい。この想いばかりが募る。

妹たちは、父方の親戚たちと未だ

付き合いがあると聴いた。

私には声もかからない。

無論、声がかかったとしても

母を苛めた人達に会うつもりは毛頭無い。

ただ、両親の離婚後、一緒に暮らしていた家族が

分裂していくようで恐さを感じる。

私はどちらかというと、母方の血が強い。

顔立ちも、性格も母方譲りである。

妹や弟は父方譲りの顔立ちや性格をしている。

危惧しているのは、父は物やお金で人を

自分側の味方に付ける人間なので、

妹や弟はそれに釣られた状態にある事である。

父の事は『可哀想な人間だ』としか

想えなかった。しかし今は、

状況が変わってきている。

父は本当に心臓を悪くしており、

禁酒をしている。白湯が身体に良いからと、

お酒の変わりにカップ酒のコップにそれを入れて

飲んでいるのである。

血圧も高く、心臓も悪い為に

以前此処で記したように、自転車で通勤中、

本当に心臓麻痺を起こして死んでしまうかも知れない。

それを想うと、私は途方に暮れる。

母には親孝行をしたいと想っているが、

父にはその想いが湧かない。

でも私の父である事に変わりは無い。

だから、倒れられたり死なれたりしたら

酷くこころが掻き乱されるであろう。







私はこころの狭い人間である。

だから父の事はどうしても受け容れられない。

けれども亡くなったら哀しい。

私は成す術が無く、立ち尽くしている。

父は一生懸命働いていて、真面目であるが、

人間として思い遣り等に欠けている非人間的な

部分もある。特に子どもの頃の私に対する

豚扱い、ホームレスに例えた言葉遣いは

酷く傷つくものであった。

なので理解して受け容れるよりも何よりも、

傷を負わされた側として哀しみが残る。

父はそんな事、ずっと昔に忘れたかも

知れないが、私は忘れられない傷である。

今は考えたくない。

母も色々な問題を背負っているので、

その母と2人、一緒に手を取り合って

生きていくだけで精一杯である。







久し振りの居酒屋、カラオケ。

とても楽しかった。今でも余韻は残っている。

カラオケが終わった後、妹は弟に説教する為に

BARへ向かった。私と母はタクシーで家に帰った。

居酒屋で一緒に料理を頂いていた時、

4人暮らしが始まった13年前の事を想い出し、

温かい気持ちになれたのは本当に嬉しかった。

父の事は相変わらず解決出来ない問題として

残っているが、何れ時が解決してくれるかも知れない。

私は、私として生きてゆき、

この『摂食障害』や『うつ病』等と共に生きながら、

明日へと歩んでいくしか道は無い。

でも、疲れたら暖かな陽だまりの中で

寝転がり、力を蓄えたいと感じている。





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Last updated  2007.01.09 01:39:48
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