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カテゴリ:診察・カウンセリング
雨が少し、ぱらぱらと降った
とても寒い1日であった。 ぬくぬくのお蒲団でぐっすりと眠り 気分はそんなに悪くない。 電話診察の日であった為、 目覚めは携帯のアラームであったが、 アラームを止めて暫しぼんやりとする 時間はあった。 温かい飲み物・・・紅茶に豆乳を入れて 甘味付けの為ゼロカロリーのシロップを 入れたものをゆっくりと飲みながら、 再放送のバラエティが流れるTVを 煙草を吸いつつ眺めていた。 昨日も、『過食嘔吐』は1回で済んだ。 ただ、火曜日と違うのは、 我慢したり頑張ったりしないで 過ごせたと言う事である。 主治医が仰るには、 「寂しいと暴れるこころ即ち過食と言う病症を 無理やり押さえ付けて抑え込んでも意味は無いよ。」 と言う事であった。火曜日の私は そんな感じであったので、苦しかったのであろう。 『過食嘔吐』をしないでいると言う事に、 今はまだ不安感を覚える時もある。 これは、人と人との結びつきの力や、 寂しさをなだめる事で落ち着かせられる。 そして寂しさを抱える力が必要である。 そもそもこの病気のベースは、 『不安』と『恐怖』 である。 健康な人は、これら『不安』や『恐怖』を包んで 抱え、なだめる力を持っている。 と言うよりもその力を獲得しなければ 社会で生きるのは難しいであろう。 しかし私は、生まれてからの環境から それを獲得する力を得る事が出来ず、 麻痺させたり解離状態になったりして 生きてきた。 そんな自分を救う為に、『摂食障害』という 病気になったのであろうと感じる。 過食している時は、半分解離状態に なっていて、頭を空っぽに出来る。 何も考えなくて済む。胸に渦巻く苦々しい 暗くて重たい思考や、哀しくて厭で堪らない事等を 忘れていられる。 即ち、過食をしていない時は、 それらの想いに押し潰されそうになっている時間が 有るという事である。 だから、無理矢理 『寂しい・哀しい・辛い・苦しい・虚しい』 と言った爆発しそうな想いを 抑え込むと言う事には 何の意味も無いのである。 勿論、過食嘔吐には多大なリスクが 伴うが、こころを鎮撫する事は出来る。 だから、 『過食嘔吐』=『悪』 と言う訳ではないと想っている。 どうしても病症が苦しいから敵視して しまうが、私はこれによって 心を鎮められるのである。 所が、昨日は何となく 「別に過食嘔吐をしたくないな」 と想えたし、しない事によって 我慢したり、無理をしたりする事もなかった。 勿論、朝方に1回行なってしまったのであるが、 これは自分に必要だと想ったからである。 いつも1回目の過食をする時間、 私は読書をしたり、TVを眺めたり、 シャワーをゆったりと浴びたりした。 それらの時間の間に、自分の中にある 『寂しい・哀しい・・・・・・』 と言った想いを「よしよし」と包み込めていた。 空腹も感じたが、それはスープを少しずつ 摂取する事で抑えられた。 過食に繋がるのではないかと恐れて 何も口にしないでいようとも想ったが、 逆に空腹が過食に走らせるような予感も あったので、南瓜のポタージュスープを 口にした。温かく、ほんのり甘く 美味しいと感じられた。 主治医が最後に仰ったのは、 私が過食嘔吐する事によって 少しでも体に残ったものが栄養源と なっていたが、回数が減る事によって より痩せてしまうのではないかと言う危惧 であった。 私としては、痩せたいので 「過食嘔吐を減らす事で痩せられるのなら、 これからも1日1回にしようかな」 と感じた。不健康な思考である。 今まで1日2回だったものが1回に減ると、 やはり何らかの“不安”や“恐怖”と言った感情が 湧いてくる。しかし、それらを受け止めて 抱き締めてあげる事も大切なのではないであろうか。 また、1回で済んだ日は、身体が軽く浮腫みもそんなに無くて 調子が良い。食べるか食べないかはその時になってみないと 分からない。少しずつコツを掴んでいって、 どんな気分の時、過食嘔吐に走らないで済むであろうか、 どんな気持ちの時、過食嘔吐に走ってしまうのかと言う事を つぶさに観察していきたい。 無理や、頑張りすぎる事は病気に良くない。 なので、過ぎ去っていく時間の中でゆっくりと 考えを巡らせながら、休み休み進みたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.01.12 20:58:32
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