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凍えたココロ

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2007.01.16
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時に、家で独りぼっちでいると

今でも寂しさが募る。

目覚めて気が付けば1人であると、

言葉にし難い寂寥の感が

胸いっぱいに広がる。

だから私は、母が出勤する時間まで

起きていて、

「気を付けてね。」

と無事を祈り、送り出すのであろう。







久し振りに雨が降った今日、

雨音に耳を澄ませながら

ゆっくりとホットドリンクを

飲んでいた。少し肌寒い部屋で

一服しながらぼんやり出来る

この時間を大切にしている。

豆乳は随分飲み慣れてきて、

必ず摂取するようになった。

紅茶に豆乳を入れた

ホット豆乳ティーで毎日

頭を覚醒させている。

ぼんやりとしている時は、

本当に何も考えていない。

TVを眺めていても、何も頭に

入ってこないのである。

毎日自分自身の病気を考えてばかり

なので、1日のうち何十分かでも

そういった時間を持たねばと想っている。







主治医に指摘されて

気付いた事がある。それは、



「やはり私は過食嘔吐の回数について、無理をしている所がある」



と言う事である。

勿論、「食べたくないな」と想って

いつも1回目に過食嘔吐をしていた時間、

他の事をするようにしている。

でもこれは誤魔化している事に他ならない。

今まで、

『食べて排出せねばならない時間』

だったものが、

『読書をしてシャワーを浴びねばならない時間』

に変化しただけである。

どちらにしても

『~~ねばならない』思考

と言うものは変わっていなくて、

私は“強迫観念という鎖”

雁字搦めになっているのである。

けれども、今は過食嘔吐するよりも

しないでいる方が無理をしていても

達成感があるので過ごし易い。

この気持ちは大事なものだと感じる。







私の中で、摂食障害に関連する

課題として



『かつての母と今の母を一致させる事』

『父とは一体何なのか?』




と言ったものがある。

勿論、

親の所為で摂食障害になったなんて言うつもりはない。

病気になったのは、自分の育ってきた環境に

不幸な出来事が続き過ぎたからである。

ただ、こうも主治医に「不幸だったんだから」

言われると、落ち込む。

私としては今までの事は他の家にも

普通にある当たり前の出来事として

捉えていた節があり、まさか

“不幸”と捉えられるとは

想ってもいなかったからである。

考えてみたら、確かに父は

無意識に人を傷付ける事が得意な人

であるとは感じる。

特に私がストレス性胃炎の痛みで

のた打ち回っていた時、

父はその状態を見て鼻で笑った。

心配する言葉も何もなく、

朝御飯を食べていた。

私が今患っている病気は、

普通の人にも理解し難いもの

である事は分かっていてる。

しかし私が摂食障害

死んでしまっても、父は



「馬鹿なことをして」



としか想わないであろう。

その割に、父は自分の病気を

自慢しているかのように話してくる。

心臓が悪い事や、疲労で抵抗力が

落ちた時にリンパ腺が腫れた事など、

武勇伝の様に話すのである。

心配している言葉をかけると、

満足している。







主治医との対話では、良く

父親の話題になる。

けれども幾ら対話したとしても

死ぬまで父には歩み寄れないであろうし

父も私に近付く事はないであろう。

これは産まれてからの宿命みたいな

ものである。

母は、私を『自分の味方』にする為に

産んだ。だから私は全面的に

母の味方である。

そして味方の反対は敵。

つまり父や父方の親戚が敵である。

家族という単位の中で

『敵と味方』

という位置付けが決まってしまう事は、

哀しい事だと感じる。







そしてもう1つ主治医との話で

こころに残ったのは、



「“祈る”という事は大切だけど、現代では

 何に向かって祈ればいいのだろうね。」




と言うものであった。

この世の中では、新興宗教も多く、

引っかかって余計な負担を強いられる事もある。

因みに私は無宗教であるが、

キリスト教プロテスタント系の高校出身

である。その頃は強制的に神に祈らされ、

「アーメン」と唱えていた。

しかし私の感覚にぴったりと来るものが無く、

聖書は素晴らしいものだと想うが、

卒業して以来、神に祈らなくなった。

けれども私は何かに祈っている。

冒頭で記したように、母が出勤する時は

「気を付けてね。」

と安全を祈っているし、

病気が少しでも良くなるようにと

何かに縋る訳でもなく祈っている。

何に祈っているか分からないから、

祈りが届いているかさえ分からず、

きっと途方に暮れてしまうのであろう。

しかし、希望はいつでも抱ける。

未来を信じることも出来る。

その様に自分が無理をしない程度に、

適度に心地良い空間を求めるのも

良いのではないであろうか。







『祈り』・・・。

これは自分の都合だけ考えているような感じも

否めないが、私は特に大切な人に関する事で

祈りを捧げる。こう綴ると大袈裟であるので、

私は感謝する事を大切にしている。

小さな事でも「ありがとう」という言葉を

忘れず口に出す事や、こころの中で

「感謝しています」と呟く事・・・。

それ位しか私には力が無い。

そして次第に「ごめんね」では無く

「ありがとう」という方が多くなった。

また、レジのおばちゃん達にも挨拶を

すると、気持ち良く過ごせる。

常連なので会話する事もあるし、

もう直ぐ閉店する酒屋のおねえさんや

おばちゃん達とも良く会話する。

私は普段半径100m位しか

行動範囲が無く、そこで交わす会話も

限られているが、今はリハビリの時期だと

想っている。

そうして少しずつ外の世界に

出て行く事が出来ればと願って止まない。





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Last updated  2007.01.16 21:15:28
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