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凍えたココロ

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2007.01.20
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カテゴリ:想い
ふと気付くと、

俯いている。

何もする気になれず、

起床した夕方は

読書すら出来ない。

唯々ぼんやりしながら

温かい飲み物で

身体の中から温まる。

そして紫煙を燻らせる。

そうしている内に

スーパーへ行く時間が

迫ってくると言った具合である。







でも、スーパーまでの夜道を

てくてくと鼻歌を唄いながら

歩いていると、少しずつ

気が楽になってくる。

そして空を見上げ、

「星が綺麗だな」等と想いながら

遠回りの道々を歩いている。







日毎に眠る時間が遅くなっている。

どうしても過食嘔吐

したくないと考えて、

カクテルを飲んだりその氷を食べたりして

時間潰しをしている。

「過食嘔吐をしたい」

と言う想いと、

「もう何もしたくない」

と言う抑うつ状態が

せめぎ合っている状態である。

昨日綴った事で考えてみたのであるが、



『私は過食嘔吐の回数を減らした事に因って

 うつ病の症状が強く出てきた』




と言う事が分かった。

それが逆でも、一体の事なので

同じ意味を持つが、

こうして『うつ病』の症状が

出てくる事は、心身が

一先ず休みたいと言う欲求を

訴えかけてきていると言う事である。

しかし、『だらだらしてはいけない』と言った

『強迫観念』もあり、一体どのように

過ごせばいいのか混乱してしまう。







『だらだらしてはいけない』というのは、

きっと小さい頃からの刷り込みであろう。

私は兎角、鈍臭くて不器用な子どもであったから、

母親を苛々させていたのであろう。

だから

「早くしなさい」

「さっさと動きなさい」

「だらだらせずにぴしっとしなさい」


と叱責されていた。

そうして癖になった行動は、

今でもこのこころと体に染み付いている。







しかし、母との関係が良好になった昨今、

次第にのんびりとしたり、ゆっくりと

過ごしたり出来るようにはなってきている。

だが、それに対して僅かな罪悪感を

抱いてしまうのである。

もっとしゃきっとしなければならないとか、

もっと頑張らねばならないのではないか等、

生きているだけで心配事が尽きない。

これは根底にある



『不安と恐怖』



が生み出しているのであろう。

これらの思念は拭い難いものがある。







近所の酒屋が、閉店セールをしているので、

いつも購入していた発泡酒は

もう全て売り切れていた。

また、欲しかったカシスリキュールも

無かった。なので最近はコンビにまで行って

母はビールを、私は発泡酒を購入している。

今日はそこで、キリ○の復刻ラ○ー<大正>

という、限定醸造のビールが売られていたので、

そのメーカーの発泡酒をいつも購入している

私は、飲んでみたくなった。

そして家に帰り、早速コップに注ぎ飲んでみると

中々美味しかった。そしてアサ○贔屓の母に

「飲んでみる?」と差し出してみると、

「美味しい。あ、懐かしい味だ。良くじいちゃんが

 飲んでいたビールの味と同じ!子どもの頃良く

 ビールの泡をもらってたから。懐かしいなあ。」

と言っていた。

発泡酒は、何となく味が薄くてクセが殆ど無い。

久し振りに飲んだビールは味が濃くて

美味しく感じられた。ちょっとした贅沢である。

この様なちょっとした贅沢が出来るように

なったのは、過食嘔吐の回数が減り、

今までの過食費より安く済むように

なったからである。これからも、もっと

節約していきたい。母の為にも。







スーパーの隣に、八百屋もある。

スーパーより少し安値で野菜が買える。

今日の母は、いつも朝食代わりとしている

バナナと、夕飯の湯豆腐に入れる為の

春菊を購入していた。

私は、ウォッカに絞りいれる檸檬と

『となりのト○ロ』を想い出して

胡瓜をかじりたくなり、それを購入した。

2人とも黄色と緑の取り合わせで

買い物したので、母が

「同じ黄色と緑のものを持ってるね」と

何気なく言った。

その何気なさが何となく嬉しかった。

こうした他愛の無い会話でも、

私のこころは穏やかになる。







未だに強く根付いている

『強迫観念・強迫行為』・・・。

でも昨日の主治医の言葉で楽になった。



「完璧主事にならなくていい。強迫観念も強迫行為も

 仕方の無い事なのだから、無理に排除しなくていい。」




と言うものである。

このような症状を抱える事は

とても辛く、苦しく自分で自分の首を

締め上げているような感じも否めないが、

何も完璧にそれらを排除しなくても良いのである。

私の今の自然体が、今患っている病気の

症状に蝕まれている状態でも、それはそれと

受け止めるしかないのであろう。







ビールの話で想い出したが、

遠い記憶の中に、私も小さい頃、母の飲む

ビールの泡を「頂戴」と言って飲んでいた。

未成年の飲酒となるが、とくとくと注がれた

ビールの泡がとても美味しそうに見えて、

実際飲むと苦いのであるが、ふわふわ感と

炭酸が口の中で面白かったのであろう。

毎日のようにせがんでいたと想う。

その頃はきっと幸せだったのであろう。

もう、遠く甘い記憶となってしまったが・・・。

そして今日は母が子どもの頃の話も聞けて

何となく抑うつ感は薄らいでいる。

何れにせよ、こころと身体に無理を強いる事は

したくない。

ゆっくりと苦しい気持ちが去っていくのを

待ち続けてみようと想う。





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Last updated  2007.01.20 21:06:44
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