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2007.01.25
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カテゴリ:平穏
眠りから覚めたら、

母がいると何だか嬉しい。

悪夢を見たときは余計に

心強く想える。

夢の内容を人に話せると、

厭な気持ちも半減するからである。







一番厭な夢は、

『トイレが詰まって逆流する』

と言うものである。

今回はそれをみて

気分が塞いだ。

私は何故か薔薇の花や書物など

食べ物でないものを食べて吐き、

大きなトイレが詰まってしまった。

現実で、家のトイレが下水道になるまでは

よく詰まって厭な想いもしたので、

“恐怖”となっているのかも知れない。







しかし、顔を洗って気持ちをすっきりさせて

ホット豆乳ティーを飲みながら

一服していると、段々こころは

落ち着いてきた。

そしてスーパーへ行く頃には

厭な想いも吹き飛んでいた。

だからなのか、自然に視線も上向きになり

綺麗な星を眺められた。

星たちの中で最も輝いているものに、

何となく願いをかけてみた。

小さい頃の事を想い出す・・・。







子どもの頃はほぼ毎日

習い事に通っていた。

ピアノ、そろばん、習字、学習塾。

夏休みはこれに水泳が加わっていた。

そろばんと学習塾は

父の弟が先生であったが、

私には厳しかった。

キレると大声で怒鳴り散らす

恐い人でもあった。

何となく憂鬱な気分を

胸に抱いたまま、

夜道をゆっくり歩いて帰っていた。

そんな時はいつも月や星を

見上げていた。

家に帰っても母が恐かったから、

本当に歩みは遅かった。

小学校の近所に塾も家もあったので、

その塀によじ登って

じっと夜空を見つめる事もあった。

そんな時はよく願いをかけていたものである。

けれども、何度かその夜道に

変質者が現れて、声をかけられたこともあり、

父が迎えにくる事になってしまい、

その習慣は無くなっていった。

だから今日、ゆっくり夜道を歩きながら

綺麗な星を見上げられた事を

嬉しく想った。







私の食事は、

『嘔吐をしたいが為に食べる』

と言う部分が大きい。

こころにぽっかりと空いてしまった

穴へと食べ物を詰めていって

異物であるそれを排出する。

そしてまた、こころは

元通り穴が開いた状態になる。

そこで、嘔吐時には

胸の底に渦巻く、

『苦しみ・哀しみ・虚しさ・辛さ』

等を一緒にこころから出す。

それらの痛々しい想いを

吐き出したいという気持ちもあり、

“嘔吐”と言う行為が

必要なのであろう。







それらを鑑みて想うのは、



『今はまだ痛い気持ちを胸に留まらせておく事が出来ない』



と言った心持ちである。

いつか、上記に挙げた苦しい等の想いを

それはそれとして、当たり前の事と

胸に留まらせて健康的な

昇華が出来るのであれば、

きっと嘔吐の必要も

無くなるであろう。







しかし、『摂食障害』の根は深い。

絡まり合い、縺れ合い、手に負えない。

だから、私にはカウンセリングや対話と言った

治療が必要なのであろう。

そしてまた、うつ病に関しても

ちゃんと目を行き届けさせていなければ

ならない。

私の様に神経症からのプロセスで

うつ病になった人間は、

このうつ病が“1度死に、生まれ変わるチャンス”

なのである。この病症も辛くて苦しい事に

変わりは無いが、きちんと休息をとりながら

無理をしないで過ごしていられたら、

きっと寛解へ向かうであろう。

今はとても苦しいかも知れないが、

未来はどうなっているか分からないのであるから。


だから希望は捨てないでいたいと想うのである。

ただ、うつ病の病症で何も出来なくなる

事がある。それが凄くもどかしい。

生きていることでさえ辛くなり、

『死』を意識する事もある。

今のこの苦しい状態から逃れられるのであればと。

更に自分を追い詰めてしまうと、

周りに迷惑をかけていると考えたら、

その方法こそ、皆が幸せになるのでは

ないかと錯覚も起こす。

私さえ死んでいなくなれば良いだろうと。

けれどもそれが間違っている事も

承知している。

私は生きてこの苦しみを引き受けて、

どうにかこころに溜まった澱を

昇華させながら、生きたいと想う。







空はいつも美しく、懐かしい想いも溢れる。

小さい頃は、食事に対して「太る・痩せる」なんて気にせず、

「お腹一杯!」と言えるまで食べられていた。

そしていつの間にか、その満腹感が“恐怖”となった。

自分が何なのかさえ分からなくなって、

ただ『痩せている』という事にアイデンティティを

見出してしまっている。

このままでは、空っぽなこころを持て余し、

自分を確立する事が難しくなる。

そうならない為にも、主治医と対話という名の診察を

きちんと受けて、カウンセラーとのカウンセリングも

続行したいと感じる。

人に自分の内面を打ち明ける事によって、

自分でも気付かないものを発見出来る。

無理だけはしたくない。だから例え

『嘔吐』で終わる食事になっても

“食べるという行為”は大切にしたい。

いつかこの苦しく虚しく辛く哀しい日々が

想い出になるように。





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Last updated  2007.01.25 21:13:44
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