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カテゴリ:想い
いつの間にか、少しずつ
春の足音が近付いている。 夜、スーパーへ向かっていると 風がすっかり春のものとなっていて 柔らかい香りがした。 それだけで、沈んでいたこころは 何だか浮上してきたような 気がする。 しかし、若干目と鼻が痒いのが 気になる。花粉症であろうか。 空も美しく、星が煌びやかに 輝いているのを 目の当たりにすると、 その美しさに見惚れた。 そろそろ地上では花が咲き始める のであろうが、 多分、春になるまでにまた 寒さが戻ってくる予感がする。 その寒さは厳しいであろう。 四季は、私のこころと似ている。 温かくなったり暑くなったり、 涼しくなったり寒くなったりする。 『冬来たりなば春遠からじ』 である。 今、私のこころは極寒の地にあるが如く 凍えている。 しかし、いつか融解して 花咲き乱れる春が、来るであろうと 信じたい気持ちもある。 私は今までそんな事信じられなかったし、 希望なんて持てなかった。 『絶対一生、この苦しい状態が続くのだ』 と想い込んでいた。 この気持ちに少しずつ変化が 訪れてきたのは、 カウンセラーと主治医との 対話を始め、“母との関係”も 密接に関係しているのであろう。 すぐに厭世的な気持ちになる 癖は相変わらず残っているが、 『希望』を見出すこころは 無きにしも非ずである。 一度、“自殺”について 考え始めたら、止まらなくなる。 「死んだら楽になれるのにな」 と甘い誘惑がある。 そんな時は必ず自暴自棄になっていて、 何もかもどうでも良いからと 殻に閉じこもっている状態なのである。 食べて吐く事にもいい加減疲れて、 投げやりな雰囲気が私に纏わり付く。 それを打破できるのは、 『人とのこころの結びつき』 であろうと感じる。 問題を解決して欲しい訳ではない。 それは一朝一夕には出来ないもの なのであるから。 ただ、一緒に心細さや不安感を 分かち合ってくれるだけで 随分救われるのである。 共にこころの問題について考え、 共に悩み、共に打開策を 練っていく事・・・。 アドバイスが欲しいとは想わない。 それが正しいのかどうか 人によって違うからである。 こころの問題への解決策や アドバイスが全てに於いて 正解がある訳ではないのである。 もしも医者やカウンセラーから 頭ごなしに 「3食きちんと食べなさい」 「栄養をちゃんと摂りなさい」 「運動をしなさい」 「規則正しい生活をしなさい」etc... と言われたって、実行できない。 出来ない故に病気なのであるから。 摂食障害などの罹患者が望んでいるのは、 『共にこころの問題や傷について考える事』 なのである。 共に哀しみ、温かい言葉をかけて下さったら それだけで安心するのである。 母との関係でもそれは同じである。 母は専門家ではないのであるから 治療的な行為なんて出来ないが、 傍に居てくれるだけで 物凄く安心する。 辛くて哀しいとき、ぎゅっと 抱き締めてくれたら、胸の辺りが じんとして温かくなる。 嬉しさで涙も出てくる。 ここまで母との関係が良好なものと なるまで、長い道程があった。 何度も泣きながら言い合いをしたし、 病気に対して全く理解を示してくれない 事に対して絶望感すら抱いていた。 でも、距離を縮められたのは、 きっと私が重い『うつ病』を 患ったからであろう。 先ず外に出られなくなったし、 全てが無気力で何も出来なくなった。 唯一大好きな本を必死で読んだり、 お薬の力で睡眠をたっぷり摂ったりする事に 因って、自分を何とか保っていた。 そんな時、私の調子がおかしいと悟った母が 主治医の話を聴いた事で、 母にも変化が生まれた。 私を包み込むような愛で接してくれたり、 些細な事でも気にかけてくれたり するようになり、会話する機会も増えた。 そしていつの間にか、私と母は 2人で支え合いながら生きていける道を 歩むようになった。 今の母に、私が不登校になった頃 背中を蹴ったり顔を打ったりしてまで 何かをやらせようとする理不尽な 行動は全く無い。 優しく柔らかい母。この母こそが 本当の本物の母なのであろう。 慈愛に満ちた母が居るから、 私も生きていられるのである。 昨日はずぶずぶと底なし沼に 沈んでいく様な苦しみを味わった。 そして本来今日は昼に電話診察の為 電話をかける予定であったが、 昼に目覚めてしまうと 過食の衝動が溢れ出してしまう為、 スーパーへ行く時間まで ゆったり眠る事を選択した。 たっぷり眠った事で、幾分頭が冴えている。 昨日は本当に最悪なコンディションであった。 何をしても裏目に出るし、 虚脱感で一杯になっており、 様々な事を鑑みて頭を働かせる事も 辛かった。 なので読書に没頭していた。 すると、徐々にこころが浮き上がり始め、 やがて母と笑顔で会話できるようになった。 後ろ向きになってネガティヴになる事も 勿論多い。 けれども、それを打破する方法も 少しずつ学んでいけているような 気がする。 春の、少し温かい風が頬を撫でた時、 何とも言い難い自然の優しさみたいなものを 感じられた。 母と共に「春の風だね。春のにおいがする。」 と会話を交わし、私は発泡酒を 購入する為に少し遠回りをして コンビニまで共にドライブをした。 最近はスーパーで買い物を終えた後、 低血糖を防ぐ為に カップの自販機でココアを飲むようにしている。 身体の中からぽかぽかして、 甘い香りと共に少しずつココアを 飲むのが至福の時である。 その間、母と何気ない会話を交わすのも 楽しい。 昨日は本当に落ち込んでしまったが、 少しずつ浮上している感じを覚えている。 徐々にリラックスできるようになった。 それは母のお陰であるので 感謝したい。 私は朝まで起きているので、母を仕事に 送り出すのが役目である。 その時、何故か「行ってらっしゃい」とは言えない。 何だか行ったっきり帰ってこないような寂しさを 覚えるからである。なので私は、 「気を付けてね!」と言って送り出す。 そして母は、「○○ちゃんもね。」と言う。 朝の挨拶やこのやり取りは とても大切にしている。 今朝のニュースで、アメリカのたった200g強で産まれた 赤ちゃんについて特集していた。 私は自然と涙が溢れた。 生まれたばかりの頃は、万年筆と同じ大きさだったのに、 自力で呼吸をしようとして、生きようという意志が そこにあったのである。 普通なら生き延びられる確率はゼロに等しいが、 その赤ちゃんは必死に生きようとして 今2000gにまで成長したそうである。 人間は、きっと『生きよう』とする本能が 物凄く強く働いているのであろう。 その赤ちゃんにとても勇気付けられた。 だから私は、今の所自ら命を放棄するつもりは無い。 どんなに苦しくても消えたくなっても それを受容したい。 ゆっくりとゆっくりと、 周りの人達に支えてもらいながら、 そして自分を支えながら。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.02.22 00:49:47
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