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カテゴリ:想い
眠りに就く時間は
そんなに変わらないのに、 日々起床する時間が 遅くなっている。 今日などは気付けば 20時を過ぎていて 眠り過ぎ、怠い身体を 無理矢理起こした。 近所のスーパーは 20時に閉店するので、 母と車でジャ○コへ 行く事になった。 実は今日、母にハプニングがあった。 それは仕事上の事で 余り詳しく綴れないが、 長期に渡って訪問介護に行っている所の 利用者さんに酷い言葉を投げかけられ 泣きながら上司と電話で話していたのである。 母はいつも全力投球で仕事に臨んでいるし 他の利用者さんからは評判も良い。 けれども、そこのご夫婦だけは 粗探しばかりをしていた。 そしてとうとう母が泣いてしまうという 結果に陥ったのである。 私は話を聞くことしか出来ない。 なんて無力なんだろうと感じた。 結局、もうその利用者さんの所から 外れて、他の所は今まで通りやっていく と言う事になった。 暫し泣いた後、母は幾分すっきりした 顔をしていた。 どうやらもうそこへ行かなくて良い事に 安心したようである。 そしてぼちぼち支度を始めて 一緒にジャ○コへ向かった。 大きな店に来ると、金銭感覚が狂う。 タイミングが悪く、半額惣菜も 無いので、安い冷凍食品や レトルト食品等を購入した。 いつも行っているお店に較べると 品揃え豊富なので、目移りしてしまい 1周りしたらぐったり疲れてしまう。 今、やっと落ち着いて こうして綴っているが、 また眠気がやってきて横たわりたい 気分である。 最近の食事は、 1回に全力を注ぎ込む為、 全てが終わったらぐったりする。 1人、「あああ、疲れた!」と 呟き、溜息を吐きながら 後片付けをする。 そして少し冷たいお蒲団に 身を沈める。 「やっと眠れる・・・。」 と想うと、幸せな気持ちになる。 こうして寝床があるだけでも 私は凄い幸せ者だと想える。 しかし、食べている時は まさに地獄の真っ只中にいるようで そして無我夢中で 気付けば胃が膨張し、苦しくて苦しくて 全てが終わるまでは気が抜けない。 ぴんとこころの糸が張り詰めていて、 少しでも油断したら、崩れ落ちてしまいそうな 錯覚に至る。 どうにか堪えて全て事を終え、 眠剤を服用してナイトキャップの カクテルを少しずつ頂く事で 全てが弛緩していく。 そんな毎日である。 実は今、傍に母が居る。 今日の『相○』と言うドラマの 録画ビデオを 私の部屋で観ているのである。 そして、母は私と一緒に いたいと想ってくれている事が 伝わってくる。 あんな哀しい事があったのであるから・・・。 でもこうして傍にいることで 母の救いになっているのだとしたら とても嬉しく想う。 狭い部屋であるので母の存在を 身近に感じ、私も安心感を覚えている。 滅多に一緒の部屋で過ごす事は無いので、 私は発泡酒、母はビールを手に持ち 「乾杯!今までお疲れ様でした!」 とグラスを合わせた。 何だか少し、こそばゆい気持ちになった。 でもこうして一緒の時間を持てる事は 本当に嬉しい。 閑話休題。 日毎に眠る時間が長くなって いるのであるが、 やはり低栄養状態がもたらすもの なのであろうか。 身体が本能的に体力を温存しようと 眠気を誘い、いつまでも眠っていられる 感覚がある。また、その栄養不良状態に ある為、お薬が効き過ぎているという事も 考えられる。 けれども、眠っていたらそれだけ心身の具合も 悪くは無い。これこそゆっくり静養すると言う 状態なのであるから。 それに眠っていれば 『食べる事』 『その行為が苦しい事』 『強迫観念・強迫行為』 『辛苦や虚しい日常』等 について考えを広げないで済む。 ゆったりしていられる。 こころの病気に必要なのは 『養生する事』 であり、 『病気を病気として認める事』 である。 だから無理は禁物なのである。 自分で、病気である事を把握しておくのも 大切であるが、勿論身近にいる家族の 理解も必要である。 身近な人の協力抜きで 静養する事は出来ないからである。 私にとっては今、母の存在が “温かな助け” となっている。 これはとてもありがたい事である。 だから希望を捨てないでいられるのであろう。 過去はもう取り戻せない。 でも、過去から学び取る事は沢山ある。 そうして学習し、未来へと繋げるのである。 今と言う毎日を只だらだらと過ごすだけでなく、 “気付いた事”や“発見的体験”そして “色んなハプニング”から様々な想いを 自らの病気に波及させていくのも良いであろう。 しかし、無理だけはしないでいたいと想う。 疲れたら眠り、気付きがあれば何かに書き留め 明日への希望にしていくことも出来る。 それらは自分次第であり、また、 主治医やカウンセラーとの対話、 家族との触れ合い等が影響してくるのであろう。 それは急がなくても良い事である。 今、家族との関係が上手くいっていなくても、 未来という未知なものがある限り、 どうなるかは分からない。 いつか病気が寛解に向かう事を信じ、 道々を歩きたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.02.28 23:28:08
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