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カテゴリ:想い
昼になっても中々寝付けない
状態で過ごしていた。 葬儀が終わった後、病院へ行き 主治医とお話をした。 突然、祖父母に会いたいと想い、 その足で母と共に祖父母の家へと 向かった。 ずっと顔を見ていなかったし、 家へ帰って1人になるのも恐くて 兎に角温かい誰かと一緒に 居たいと感じていた。 祖父は、「大きくなったなあ。」と 相変わらずの挨拶で迎え入れてくれて、 祖母は、楽な格好をしなさいと 大きなニットやジャージを出してくれた。 そして飲まず食わずであった母と私に 何か食べるよう勧めてくれたが、 私は温かいお茶だけをもらって、 母はご飯を一寸した副菜と共に 食べ始めていた。 祖母の家のご飯は美味しいので、 母はいつもの様にお代わりもしていた。 炬燵がとても暖かくて、 一睡もしていなかった私は 祖母とお葬式での経緯を話しながら いつの間にか眠っていた。 祖母も、亡くなった彼女と会った事があり、 とても哀しんでいた。 吃驚したのは、何故亡くなったのかを 話す前に「自殺したのね」と 言い当てた事である。 実は祖母も、母と母の妹が小さい頃 うつ病を患っていて 毎日死ぬ事ばかりを考えていたのである。 船乗りである祖父が外国から帰ってくる 港へ向かう為に、祖母が船に乗って 迎えに行く時、いつも流れていく 海面を見詰め、「飛び込まなきゃ」と 想っていたという。 しかし、 「まだ子どもは小さいんだ。お嫁にやらなきゃ いけないし、まだまだ生きなければ・・・。」 と必死に自分へ言い聞かせていた。 祖母は何年も病院へ通ったり入退院を繰り返したり していたが、ある日一念発起して お薬を全て捨て、 「先生、私退院します。これからは自分の力で 生きていきます。」 と宣言し、医者も 「その気持ちが大切。あなたならやっていける。 今すぐにでも退院して良いよ。」 と仰ったそうである。 祖母も精神を病んでいた。 そして母も結婚生活のいざこざに悩み 私が小学生の頃、手首を包丁で切った。 その場面を私は今でも忘れていない。 皆、こころの何処かに弱さや脆さがあり、 それを乗り越えて今がある。 そして今を生き、未来への希望を捨てないでいる。 こんな事を想いながら、 ぬくぬくの炬燵の中で 眠りに引き込まれていった。 気付けば18時を過ぎていた。 3時間ほど眠っていたようである。 「よく寝よったねぇ。」 と祖母に笑いながら言われ、 お昼に沢山泣いた私の顔は 浮腫んでいた。 瞼も腫れていて、鏡を見て思わず 苦笑を漏らした。 夜、家に帰り着いた後、 暫く呆けていた。 昼間あった事がまるで嘘のように 感じられたが、現実なんだと 突き付けられると 涙が溢れてきて止まらなかった。 涙はどれだけ流しても 枯れないものなのだと痛感した。 夜中、突然具合が悪くなった。 時間の過ごし方をいつも通りに戻そうと 努力していたが、 何も食べていないのに 発泡酒を飲んだ所為か、物凄い吐き気に 襲われた。 横たわっても何をしても治まらず、 トイレで嘔吐した。 水分ばかりが出てきて、 それでも吐き気は続いて 何度もえずきながら ぐったりとして部屋に戻ったら 身体を横たえた。 気付くとまた2時間くらい 眠っていたようである。 幾分、体調は戻っていた。 起き上がってぼんやりしていると、 矢張り昼間の光景が蘇ってきて 嗚咽を漏らしながら泣き、 それはやがて子どものように 声を出す大泣きに変わった。 彼女の心は純粋すぎるが故に、 この世で生きるという事が 途轍もなく苦しかったのであろうと 考えられる。 その辛さや苦しさに気付けなかった 死に近い所にいる私が、悔しかった。 しかし、いつまでも哀しんでいては 彼女も悲しく想うであろう。 だから私は、胸の中に居る彼女と共に 彼女の分まで一緒に沢山笑ったり 様々な経験を1度きりの人生の中で 積み上げていきたいと考える。 彼女を喪ったという『喪失感』は大きい。 身体もまだ本調子ではなく、 少し流動物を胃に入れるだけで 吐き気がする。栄養を摂り入れる事を 身体もこころも拒絶しているようである。 しかし、私は彼女の分まで生きたい。 胸の中の彼女を、遺してくれた温かさを いつも感じながら、自分の目標を定め それに向かって生きていきたい。 焦らず、ゆっくりとゆっくりと 今は歩き出せないけれど、休みながら 前を向きたいと想っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.08 07:11:42
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