191790 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

凍えたココロ

凍えたココロ

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

wwナノww

wwナノww

Calendar

Favorite Blog

【重要なお知らせ】I… 楽天ブログスタッフさん

血痕と脳内嘔吐。 -秋羅-さん
べーぐるまにあ。 158号さん
ラクに生きよう♪ キラキラminamiさん
とりあえず日記 kaxukoさん

Freepage List

Headline News

2007.03.14
XML
カテゴリ:想い
何も予定の無い日、

久し振りに18時台で

目覚める事ができた。

携帯のアラーム音に

叩き起こされた訳である。

というのも、今日は

ドラマ『相○』の最終回が

20時から始まる為、

気合を入れて起きねばと想って

いたのである。

まだまだ眠いし、倦怠感が

あったけれど、顔を洗っている内に

頭がはっきりしてきた。







そして、昨日母が作ってくれた

ミネストローネの上澄みスープを

ゆっくりと口に運んだ。

野菜のエキスがたっぷり染み出していて

まるで“命のスープ”である

ように感じられた。

温かく身体とこころに染み渡り、

ホッとする。







火曜日、主治医との診察中

印象に残ったのは、やはり



『どうして弱さを弱さと認めて、そのまま

 生きていく事が難しいのであろう』




と言うものである。

何故、強くならねばならないのか。

何故、皆弱さを認めず強さを求めるのか。

病気で弱っている時・・・特にこころの病

であると、より強さを求められる。

苦しくて辛くて、哀しくて寂しくて

どうしようもない状態で病症が

出ているのに、健康な人はそれを

「弱気になるな、頑張れ。強くなれ」

と言った風に強さを求める。

しかし、病を患っているのであるから

弱い部分が出て当たり前なのである。

それを責めるべきではない。







確かに、この辛辣な世の中を

生きていくには強さが必要かも知れない。

でも、その強さばかりに目を向けていたら

『鈍感』になってしまうであろう。

そして自分の調子や変化に気付けず

突然死を招く事もある。

鈍感でいると言う事、

つまり鈍いと言う事は、

人のこころも平気で踏みにじっているのにも

気付けない。

だから無闇に強さばかりを求めるのは

止めた方が良いのであろうと感じる。







例えば、風邪を引いている人に対して

「気合さえ入れたら熱も下がる」等と

言わないし、大怪我をして痛みに苦しんでいる人へ

「強くなれ。頑張って痛みを堪えろ」等と

言うのは薄情ではなかろうか。

こころや脳の病気も似たようなもので、

病症が出ている時に

上に挙げた事を言われると困ってしまう。

症状が出る事によって

“弱さ”をそれとして

認めて、何とか生きていこうとしているのである。

私の場合は、それが過食と嘔吐であり、

うつ病の症状なのであろう。







こんなに苦しい中でも生きていけるのは、

“強さ”では無く

“生命のたくましさ”だと感じる。

以前、何度か自殺未遂をしたが、

たくましさによって生き延びる事が出来た。

そして病症に耐えられるのも

そのたくましさが存在するからである。

これは、努力をしたり頑張ったりして

生まれる訳ではない。

その人自身に元から存在するものである。

それに無理を強いると、やはり

とても苦しい事になってしまうが、

私はこの生命力のたくましさ

信じていたいと想っている。







大学生の時、付き合っていた彼氏とは

所謂『共依存』の関係にあった。

この関係は、『神経症的関係』とも言われ、

行き着く先は『関係の解消』である。

だから、別れると言う事しか、

術はなかったのである。

それに気付けなかった21歳の私は

全てに見放され見捨てられたと想って

生きていても仕方ないと感じ、

自分の命を消そうとした。







病院での主治医と患者の関係、

カウンセラーとクライエントの関係も

やがては解消されるものである。

病気が治った時。

そして相談者の問題が解決した時。

だからこれらの関係は健康的に解消していく

ものなのである。

しかし共依存の関係は、病的なものであり、

辛い中解消せねばならないものであろう。

これは本当に苦しいものである。







私と食べ物との関係も、

依存を基にしたものがある。

食べる事に依存して

過食をして嘔吐する。

今の所、栄養を摂取する事と

過食と嘔吐は別にしてしまっている。

それは命のスープを摂取するようになって

別れてしまった感じがある。

無我夢中で食べ物を詰め込んでいる時と、

ゆったりスープを飲んでいる時の心持ちは

全く異なる。

前者は早く嘔吐せねばという焦りがあり、

後者はゆっくり身体に染み渡らせようと言う

余裕がある。

最終的な目標は、

『過食や嘔吐を考えず美味しく食事を頂く』

と言う事である。

いつか叶えば・・・と希望を捨てたくはない。







強さや弱さ、そしてたくましさ。

人間はたくさんのものを兼ね備えている。

自分が強く生きられるからと言って、

それを弱さを頼りに生き延びようとしている人々に対して

強要してはならない。

強いられた側は辛くて苦しくなっていく一方であろう。

でも、生命力のたくましさは信じたい。

生きていくと言う事は、たくましさが存在するから

なのであるから。

病気を患っている今、ゆっくりぼちぼちと

弱さは悪い事ではないと認めて

生きていく事が大切であろうと感じている。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2007.03.14 21:10:01
[想い] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.
X