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カテゴリ:虚無
未だ、哀しみは癒えない。
亡くなってしまった彼女の事を 私は引き摺っている。 家に1人でいると 忽ち心細くなる。 生きていこうと想っていても、 直ぐ挫けそうになる。 けれどもこの世で生きている限り 私は歩いていかねばならない。 何とも残酷な事であろうかと 私は悲嘆に暮れる。 空は蒼い。 雲は流れる。 夜になれば月が浮かび 空いっぱいに星が瞬く。 花々は一所懸命生きようと 水や太陽の光を糧にして 咲いている。 でも、私は・・・ 私は一体何をしているのであろう。 食べたり吐いたりしていて 後ろ向きに歩いている事は 否めない。 うつの症状は 歩く事を困難にさせて その歩みを止めざるを得なくなる。 楽しい事などないと想ってしまう。 笑えないと言うか、笑いたくないと想う。 唯、只管泣きたいと言う想いばかりが この胸を貫く。 どうしたら良いのかさえ分からない。 呼吸をして、今という時間を過ごし 未来を迎えることしかできない。 カウンセラーは仰った。 「生と死は本当に紙一重なものだから」 と。 その言葉は深くこころに刻まれた。 今こうして生きているけれど、 いつ死ぬかなんて分からない。 家から一歩外に出たら 車に撥ねられるかもしれない。 過食と嘔吐を繰り返す内、 電解質の狂いによって 心不全を起こし死ぬかも知れない。 そんな死と隣り合わせの日々を 送っているのである。 私には、何が幸せで何が不幸せで どうすれば皆が温かい気持ちで 過ごせるかなんて判っていない。 生きているだけでも儲けものだと 感じているが、今すぐ私が死んでしまったら 私の母や兄弟、親族達に哀しみを与えてしまう。 でも、こうした不健康な生活は 止めたいと想っても止められるものではない。 どうしたら良いのであろうか。 いつも自分に問い質す。 しかし、答えなど見つからない。 細々と、一生懸命生きていく事しか 私には出来ない。 彼女の死から、本を出版する為の 私の執筆は止まっている。 余りにも哀し過ぎて、 文章が浮かばないのである。 ありのままの自分を失った様な、 自分が生きている感覚を失った様な そんな不思議な感覚の中にいる。 しかし私は 生きねばならないのであろう。 起床したのは、22時であった。 やはり、母は起きているのが辛いから 早く起きてと少し怒っていた。 低血圧でもある私は 目が覚めても暫く動けなくて、 気ばかりが焦り申し訳ない気持ちで 一杯になる。 どうしても強い薬を服用してしまうと 10時間は眠ってしまう。 眠る事も大切な治療の一環であるので もう少し床に就く時間を 早めなければならないと痛感した。 何度か携帯のアラームで目は覚めたが 直ぐに止めてまた寝入ってしまう。 断眠の度に見ていた夢は中断されるが、 また眠りの世界に入ると その続きを見て、悪夢である時は 本当にぐったりと疲れてしまう。 今日も例に漏れずしんどい夢ばかり見ていた。 支度を終え、コンビニへ向かった。 いつもと同じものをカゴに入れていくが、 コンビニで大量に食べ物を買うのは 恥ずかしさを伴う。 割り箸を貰う時も、つい 「3膳下さい」 と言ってしまう。 スーパーなどでは割り箸を 貰わないようにしているが、 コンビニだとこの量を私1人が 食べると想われるのが恥ずかしくて つい上記のような事を口走ってしまう。 だからなのか、余りコンビニを利用したくないと 想ってしまうのである。 そろそろ本格的に 眠る時間を早くして 完全に昼夜逆転となった生活を 正さねばならないと感じている。 母にも迷惑をかけてしまうし、 私自身もしんどい想いをする。 睡眠時間をたっぷり摂って 前向きに病を治していく事を 考えていきたい。 母はいつも、切らす事無く 『ミネストローネ』を作ってくれている。 『命のスープ』であるから、私は毎日 摂取するようにしている。 最近は、煮詰めて2日目のスープの具材を 少しなら食べられるようになった。 食べるというよりも、口の中に入れた途端 解けてしまうほどお野菜は柔らかくなっているので 不快感も無く、摂取できる。 エキスは殆どスープに流れ出ているが、 煮込まれたお野菜にもまだ甘味が残っていて とても美味しく感じる。 このようにして少しずつ『食べる』と言う 行為にも慣れていきたいものである。 離乳食のように柔らかくなったお野菜ならば 食べられるようになった事が嬉しい。 しかし、焦らず少しずつ 歩んでいく事ができたならと 願って止まない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.17 23:34:50
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