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凍えたココロ

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2007.03.20
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最近良く考えることがある。

主治医ともよく話すのであるが、

弱さを弱さと認めても良いのではないであろうか。

生命のたくましさにアクセスできるのであれば。








空は蒼い。雲は染まり流れる。様々に形を変えて。

花は咲く。蕾は開く。その時々によって。

土の香りが春になるにつれて漂い、

菜の花は咽るほどの芳香を放つ。







自然を自然として受け容れるが如く、

自分を自分として受け容れる覚悟も

必要である。

摂食障害は、普通の健康な人には

中々受け容れ難い病であるが、

そういった病気があるのは現実である。

自分を誤魔化す事なんてない。

病を病として受容し、それによって

何を得て何を考え、何を感じるか・・・。

それを大切にして生きていきたい。

甘えだとか、情けないだとか、

それは鈍感な人が言う言葉である。

鈍い人に何を言っても仕方がない。

自分が生きていく為に、何が必要であるか

何を考慮してこの辛苦を生き抜くかを

探索していく事が今、必要なのではないであろうか。







病気であろうとも、生きている限り、たくましさはある。

確かに関わっている人達に

「迷惑をかけているのではないか」とか

「負担になっているのではないか」等

心細くなってしまう事はある。

けれども、風邪を引いて熱がある時、

咳が酷い時、それを自分の力で

抑える事は出来ない。

治癒へ向かう為にはそれなりの時間がかかる。

こころの病も似たようなものである。

今、かけてしまっている迷惑や負担は、

後から恩として返す事が出来る。

困って苦しんでいるのは、自分自身であり、

それを蔑ろにするべきではない。







人はよく、

「甘えるな!!」

等と言うが、

自身は甘えていないか考えて欲しい。

人に甘えない限り、生活は出来ない筈である。

高校生の時、牧師から聞いた事がある。

親から常に「人様に迷惑をかけるな」

と言われたが為に、

その人は自分の生活を見直してみると

いつも人に“迷惑”をかける生活をしていると

感じて、自殺してしまったのである。

人は、常に人に何らかの迷惑はかけている。

迷惑と言う言葉は余り相応しくないかも知れないが、

今着ている洋服だって人が作っているものであるし

使用しているPCもパーツは誰かが作ったものである。

コンタクトレンズ・眼鏡なども

人が作ったものであるし、

食べ物だって農家や農家の方々が作った

野菜を加工したものであろう。

だから沢山の、人の力を借りて私達は

暮らして行けている訳であり、

誰にも迷惑をかけている生活など在り得ない。

なのに、健康な人はそこまで想いが及ばないのか

「甘えるな、迷惑をかけるな、頑張れ」

と容易く言う。

病気・・・特にこころの病を患っている人達に対して

その言葉は酷なものであろう。

こころの病を抱えている人は

特に、

『人に迷惑をかけてはならない』

と想って過ごしている。

過敏になっている。

生きていて申し訳ないと想う人も多いと感じる。

言われなくても、どうにか頑張ろうと

しているのである。

なのに、健康で鈍感な人は必ず

上記のような病を持つ人には苦しい

言葉を簡単に吐く。

その度に身を削られるような想いに至るのである。







私は、母や主治医、カウンセラーのお陰で

命を延ばす事が出来ている。

物凄く感謝している。

母を除いて、それらは商売であるが、

そこにはこころの通じ合いや

信頼関係が存在する。

人と人との関わり合いに、

例え金銭問題があるとしても、

それで生きていけるのであるなら

こころの病をそれとして受容し、

診察やカウンセリングを受けるのも

悪い事ではない。

しかし、このご時勢では、

それを情けないと見做す人も

少なくない。







妹は今日、私が通院している

病院へ行った。

母と、姪と共に。

初診の場合は、自分の症状や

具合を話した後、脳波検査をする。

その間、母は姪を外で遊ばせてたが、

「おかあさん、かくれんぼしよう。」

「おにごっこしよう」


とはしゃぎ回り、しかも

「おかあさんはじゃんけんでチョキだしてね。」

と指示するので母はイジワルをして

グーを出した姪にパーを出して勝った。

すると姪は、

「もー!おかあさん、違う!違う!」

と愚図ったが、すぐ母は逃げて

「●ちゃんが鬼よ~」

と走り回ったらしい。

もうすぐ4歳の姪は足が速いらしく、

母はくたびれたと言っていた。







脳波の検査が終わり、診察室で

妹と一緒に母と姪も一緒に入ったが、

姪はじっとしていなかったらしい。

病名は伏せるが、妹は病人となり

これで治ると言う見込みが生まれた。

お薬を処方してもらい、診察は終わった。







私が目覚めたのは18時を少し過ぎていた。

18時を過ぎてしまった場合は、

主治医の携帯に電話をかける事になっている。

そこで、急いで少し寝惚け眼で

電話をかけた。

主治医は、初めて姪と会ったのであるが、

「あの子は本当に元気だね。甘える力もたっぷり持っているし

 家庭環境は余り良くなくても、あの子なら大丈夫」


とのお墨付きをもらった。

姪のパワーによって病気も治っていく

可能性があるとも仰っていた。

そこで妹の病名を知って

脳波の事も伺った。

どうやら私の脳波と妹の脳波は

似ているらしい。しかし、どちらかと言うと

妹の方が子どもっぽく、

見た目や格好は大人でも、中身は子どものまま

であると考えたら良いと仰っていた。

『千と千○の神隠し』で言えば、

あの大きな“坊”

当てはまる。

確かに妹は、私のように理詰めで考えてから

行動すると言うより、

直感ですぐ行動に移すと言う傾向がある。

これは決して悪い事ではない。

例えば、摂食障害を患う子どもを持つ

母親が、頭から・・・思考から入って

「こうすればいいんだ」「ああしたら治るんだ」と

考え、それを実行して中々治らなかったら

「私はこんなにやってあげているのに何で治らないの!」と

叱る親がいると言う。

これでは何の意味も無い。

私の妹も母も、身体で・・・感覚で受け止め

それを臨機応変に行動へ移す力がある

と言う事である。この力は偉大であり、

病気を治すのに一番大切な

『癒し』

を理解できると言う事である。

私達病気を患う人間は、1番に

この『癒し』

必要なのである。

それを外側から受けられない場合は、

『眠る事』

治癒へと繋がる。

私にも、妹にも今一番必要なのは

これら『癒し』と『睡眠』である。

そして焦らず過ごすと言う事だと

主治医は仰っていた。







こころの病、脳の病は昔よりも

理解されるようにはなってきているが、

まだまだであると感じる。

特に『摂食障害』は中々理解される事はない。

きっと、健康は人には分からない病状で、

周りの人間もどう対応して良いのか困ってしまう

からかも知れない。

その中で、理解されないまでも病気である事を

親や周りの人達に受容してもらえると

癒しを得られる事もある。

今は、ゆっくりと少しずつ母が私の病気や

私自身を受け容れてくれて、『生命のスープ』

であるミネストローネも作ってくれる。

これを口にできると言う事に意味があるとも

主治医は仰った。

焦らず、ゆったりとして睡眠を大切にし、

“病人になること”が治癒への道を

歩んでいく事になるのであろう。

無理をせず過ごしたいものである。





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Last updated  2007.03.20 21:41:57
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