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カテゴリ:想い
夜中の2時過ぎ、
家の電話が鳴った。 用事がある時には、母又は私の 携帯電話にかかってくるので 最初はいたずら電話か何かだと 想っていた。 しかし、電話の相手は 妹の彼氏であった。 妹が、彼氏に 「ありがとう」 とメールを送った後 いなくなってしまったと言う。 携帯電話も繋がらないし、 手当たり次第、妹の彼氏や友達は 知り合いに電話をかけていたと言う。 仕事先にも居なくて、 子どもは託児所に預けたままであった。 亡くなった彼女の次に仲の良かった 友達の携帯も、電源が切られているようで 繋がらなかった。 家の中で母と2人、不安ばかりが 膨張していった。 行き先に全く見当がつかず、 探す方法も分からない。 居ても立っても居られないのに 何も出来ず、 「どうしたら良いんだろう」 と胸が苦しくなった。 何度か妹の携帯にコールしている内、 呼び出しの音楽が鳴るようになった。 それを頼みの綱として 母も私もコールし続けた。 1時間半が過ぎた頃、 妹と一緒に居ると想われる 友達に電話が繋がった。 母は今すぐ妹のアパートに 連れて帰ってくれるように言って 私も今からそっちに行くからと 電話を切った。 その後、妹の彼氏に電話をして 母と私は妹のアパートに向かった。 その時は、もう4時半を過ぎていた。 私たちが妹のアパートに到着した時、 丁度妹を乗せた友達の車が アパートに帰り着いた。 ドアを開けてみると 妹は助手席から彼女の膝に 身体を預けて眠っていた。 妹の彼氏が、妹をおんぶして 部屋まで連れて上がった。 部屋には彼氏や友達など 6人ぐらいがぐったりとしていた。 安堵感から来ていたのかも知れないが、 普通の人たちならもう眠っている時間なので かなり疲れても居たのであろう。 そして妹と一緒に居た 友達に話を聞いた。 その友達が言うには 妹は火曜日の夜、錯乱状態に なったらしい。 処方されたお薬も服用しておらず 亡くなった彼女の事ばかりを呼び 泣き叫んでいたと言う。 それで妹を車で連れ出し、 「どこか行く?」 と聞いたら 「どこか遠い所」 と答えたと言う。 それで友達は只管国道を真っ直ぐ 飛ばして行ったが、 途中で止まった所で妹が車から飛び出し、 ビルの階段を駆け上がって行ったという。 それを友達が何とか抑えて 車にまた乗せて、 海が見える隣の市まで 唯走っていたと言っていた。 寝室に入った妹は ベッドに突っ伏していた。 母と私と妹の彼氏が ずっと傍にいたら、 妹は泣き始めた。 「○○がおらんと生きていけん」 「○○が子どもと一緒に遊んでいるのを見るのが 私の幸せだったのに、それを伝えられないまま ○○は死んでしまった」 「○○は私が殺したようなもんだ」 「○○じゃなくて私が死んだ方が良かったのに」 「でもね、○○の所へ行こうと死のうとしたけど 子どもの顔が浮かんで死ねんかった」 「○○、どうして死んだんよ」 と泣き続けた。 母は、妹に処方された薬を飲ませ、 ゆっくり休みなさいと毛布をかけた。 そして肩を震わせ泣き続ける妹を抱き締め 「母さん、何もしてやれんでごめんね。」 と子どもをあやすように 左右に身体を優しく揺らした。 母は水曜日仕事が早出だったので、 そろそろ帰らねばいけない時間が 迫ってきていた。 妹と一緒に居た友達が、 水曜日はお仕事が休みだと言う事で ずっと傍に付き添っていると 言ってくれた。 もう誰にも居なくならないで欲しい と強く願う。 親しい人を自殺で喪いたくない。 そして無力な自分を呪った。 大切な人は沢山居るのに、 私は全ての人に無力で その上心配まで掛けていて、 なんて情けないんだろうと 自責の念に駆られた。 妹にも 「辛いね、苦しいね・・・。」 としか声をかけられなくて どうしたら良いのか分からなかった。 家に帰ったら5時半を過ぎていて、 私は呆然としたままお酒を飲み始めた。 そして時間が来ると 過食を始めて嘔吐した。 こんな時までいつもの通り過ごしてしまう 自分が厭だった。 虚無感ばかりが漂い、お薬を服用しても 落ち着かず、無理矢理眠りに就いた。 そうしたら少量だったのにも拘らず 22時まで眠ってしまった。 また母に厭な思いをさせてしまって 後悔した。 妹は、もう大分落ち着き、 お仕事にも行ったらしい。 本当はもう少し落ち着くまで ゆっくりしてもらいたかったが、 生活があるので働かねばならないと言う。 何の助けにもなれない姉としての自分は 本当に無力で情けない。 この虚無は深く、抜け出せないでいる。 私は一体どうしたらいいのだろうと 今は途方に暮れることしかできない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.22 03:35:33
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