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カテゴリ:想い
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皆様の優しさに、 本当にとても救われている。 もしも私がブログを綴っていなければ、 潰れてしまっていたであろう。 例えネット上であっても、 こうして温かいお言葉を残して下さる 皆様には感謝してもしきれない想いである。 主治医の指示通り、心身をゆっくり 休めようと想い、ずっと省いていた 強いお薬を久し振りに服用して 眠りに就いた。 これまでの様な眠るまでの時間に 起こる苛々も無く、2度目の過食と嘔吐を する事も無く、すうっと眠りに落ちた。 しかし、長い長い夢を見た。 それで返って疲れてしまった部分も 否めない。 起床したのは23時40分頃 であった。時計を見て驚いた。 約11時間は眠っていた事になる。 夢の中では何度も自分に 「早く起きなきゃ学校に遅れるよ。」 と言い聞かせ、ハッと断眠するのであるが そういえば私はもう大学を卒業して 眠る事が仕事なんだ と安心してまた眠った。けれどもまた 夢の中では学生になっていて、 「教科書が無い!早くしなければ学校に遅れる!」 とドキドキしていて、またハッと目覚め 学校・・・学校・・・ と考えながら微睡みの時間を過ごしていた。 それにしてもこんなにも眠れたのは久し振りで 身体は充分に休まったように感じる。 母は私が眠りすぎているからと怒る事も無く、 凄く安心した。 優しい言葉も聞けたので癒された。 金曜日、主治医と話し合った事で 自分が無理をしていて思い上がっていた事を 改めて気付かされた。 『役割』という 姉として妹を助ける為に 母に負担をかけず過ごさねばならないという 考えは、傲慢であったと感じている。 今は1人の人間として妹と関わっていきたいと 感じている。 唯問題なのは、妹の周囲には こころの病気に関する知識を持つ人間が 居ないと言うことである。 私は、離れて暮らしている上に 妹が住んでいるアパートが遠い為、 頻繁に行く事が出来ない。 妹の友人は、兎に角励ましたり叱咤激励したりと 禁忌を犯している人が多い。 妹が行方不明になったあの日、 一緒にいた女の子は、 何かと言うと 「頑張れ」 「あんたがしっかりしないでどうする」 等と言う。 また、その子は平気で嘘を吐く。 私が母に、ネットでPTSDについて 調べた事を伝えた際、 患者が話す事を否定したり進言したりせず ゆっくり聴く事、只管話に傾聴する事が 大切だ と強調した。そこで母は、 妹の傍にいる友達が、 その真逆の事をしていることを危惧して その子に電話をかけた。 何とその子は、泣きながら電話してきた妹に 対して、 「兎に角黙っとれ」 と言って車で連れ出したのであるから。 その上、妹の彼氏や他の友達が心配して 何度も携帯に電話をしても、 途中で電源を切ったり、妹の携帯を 放り投げて呼び出し音が聞こえないように していたと言う。 けれども母が昨日電話してみると、 「私はずっとひーちゃんが言う事を聞いてあげてました」 と嘘を吐いたのである。 その子は、亡くなった彼女に冷たく接していた。 亡くなった彼女はこころがとても繊細であった為、 その事も酷く気に病んでいたらしい。 結局、喧嘩別れと言う形で一生会えなくなってしまった。 妹は私と正反対の外交的な人間であり、 友人が浅く広くとても多い。 彼氏も途切れた事が無い。 そんな中で一番信用していて信頼していたのは 亡くなった彼女だけであった。 だからダメージも深刻なのであろう。 唯、子どもの事だけはもう少し大切に して欲しいと感じている。 妹が凄く苦しんでいるのは 痛いほど伝わってくるが、 毎晩毎晩、託児所に預けられてそこに 泊まる状態になっている 姪が心配になってくる。 私が健康であったら、姪と一緒に 居られる事も出来るのにと 悔しい気持ちで一杯になる。 しかし、病気を治療する事も とても大切である。 だから焦らず、ゆったりとした気持ちで 妹の病状を鑑みて、自分の状態も 自覚して見守れたらと想っている。 久し振りにたっぷりと眠れたので、 こころも身体も落ち着いている。 週に2~3回はこうして起きる時間を 考える事無く、ぐっすりと眠りたいと感じた。 しかし、それでは母に負担をかけてしまうので、 気を付けねばならないとも想っている。 さっき、コンビニへ母と2人で行ったのであるが、 外は生温い風が吹いていて、 寒くは無かった。その風の中には夜の匂いや雨の匂い、 甘い花の香りも含まれていて ふんわりとしていた。偶には夜中の外出も 面白いと感じた。 規則正しく生活する事も大切であるが、 今は『無理をしない事』を大切にしていきたい。 ゆっくりと、焦らず・・・走って転ぶ事のないように。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.25 01:13:47
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