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カテゴリ:診察・カウンセリング
カウンセリングに行けなかった。
必死に起きていたが、 徐々に身体が重くなってきて 少し身体を横たえると もう動けなくなった。 この2週間で沢山の事があったので カウンセラーに話さねばと想って いたのであるが、 余りにも身体が重く苦しいので 断念した。 眠りたくても眠れなかったり、 一度眠ると中々起きられなかったりという 困った状態が続いている。 自分の事でありながら、 原因を掴めないでいた。 夕方からの電話診察の際、 身体の症状、今の心境を細かく 主治医に説明すると、 これは緊張状態にある事からである と言う事が分かった。 3月4日にKちゃんの死を 知り、通夜で彼女の亡骸と対面して 次の日には葬儀に出席した。 その後、妹が過呼吸を起こし救急車で 運ばれたし、先週は妹が一時行方不明になり 自殺を図ろうとした。 Kちゃんの死という大きな哀しい出来事が 起きるまでは、段々と私のうつは 本格的にうつ病として うつが深まりゆくプロセスの中にあった。 しかし、緊張を強いられる大きな出来事が あったので、うつになりきれない状態に陥った。 今は、妹の病状が心配である。 きちんとお薬も服用していないし 心身をゆったり休ませる暇も無く 働いたり、車の免許を取得する為 教習所に通ったりしている。 でも周りにはいつも彼氏や友達がいて、 その中で少しずつ癒されているようである。 主治医によると、妹は外交的な人間であり、 その外交的な性格に沿った 治癒への道もあると仰っていた。 また、主治医のPTSDに対する 見解は、正しい治療法なんて無く、 寧ろあまり治すべきでない。 これからどう生きるか、これからの人生を どう送るかを考えるという事を目標としていると いうものである。 妹には、これからゆっくりと その道を沢山の友人や彼氏に支えられながら 生きていく事について考えて欲しい。 私の中には、緊張感と共に恐怖も 根付いている。 妹の事について考えたり、 妹の事にかかりきりになっている母が 私から離れていってしまうのではないかと想ったりと 少し子ども染みてはいるが そういった不安や恐怖が頭の中を ぐるぐると廻っている。 此処で主治医が仰るには、 「“弱さを認める”と言うより、 “恐怖を感じている自分を認める”事が 大事なんだよ。」 と言う事であった。 私のこころの奥底には、 いつも恐怖感が潜んでいる。 毎日の暮らしの中で、私は母に迷惑を かけまいとして気を磨り減らしている。 しかし、母が不機嫌になったり 苛々したりするのは、人間であれば当然の事であり それが母の“顔なし”なのである。 母の“顔なし”を自分の“顔なし”と共に 認めなければならない。 これを難しく想うのは、矢張り私の中に 母に対する恐怖感があり、 それが原点である事を 自覚していくのが大切なのであろう。 恐がっている自分を自覚するのは、 そんな自分を見詰めて萎縮してしまう事に繋がる。 この恐がっている自分を、「よしよし」と 宥める事が必要になる。この場合、それをするのは 自分自身であろう。 そういった行為を排除して『役割』を 生きることに徹したら、 強く心細さや哀しみを抱いている“顔なし”を 二重に排除する訳で、これでは前に進めない。 『恐怖を感じる自分を認める』・・・ 新たな気づきであった。 そして主治医からのアドバイスとして、 まずは自分のこころを鎮める為に きちんと服薬をして、 そして静かな祈りを捧げる事が 大切だというものがあった。 この祈りは、自分が被った傷に対する祈りと Kちゃんが忘れ去られないようにと 彼女の為に祈るものである。 何に対して祈れば良いか共に考えた結果、 家の植え込みですくすくと育ちゆく Kちゃんが植えてくれた桃の木が 一番良いのではないかとの答えに至った。 Kちゃんが、妹や妹の子どもと一緒に いたいと想って、隅でも良いから一緒に居たい と言う願いと共に植えた桃の木。 この木の前で、私は毎日手を合わせようと 決心した。彼女を想い、安らかなこころを 得る為にも・・・。 摂食障害の症状が、今は強く出ていて、 そんな自分を情けなく想う。 だから食べる事を拒否しようとして だらだらと時間を遅らせて過食を 始める為、眠る時間も遅くなっている。 しかしこうして摂食障害の症状について 考える時、今までのように “痩せ願望”の一言で 片付けられないものだと 感じ始めている。 症状が酷くなってきているのには、 Kちゃんの死がショックだった事もある。 そこで、Kちゃんが亡くなったという 大きな出来事と比較した時、 “痩せ願望”と称するのは 吊り合わない。 根源には、母への恐怖があると 捉えるのが至極全うな気がする。 私はその恐怖感から逃れる為、 『強さ』へ逃避した。 それがダイエットのきっかけだったのである。 また、こうしてダイエットの末に患った 摂食障害は、過食と嘔吐時に流出する “解離”にも逃げている。 こうすることでしか、私は生きられなかった。 そう感じている。 きっと、“痩せ願望”というのは 後に派生したもので、根底には“恐怖感”が 渦巻いているのであろう。 今となっては母との距離も縮まり、 打ち解けて話せるようになり、 お互い思い遣りの気持ちと共に 生活する事が出来ている。 でも、未だ母は『恐い人』である。 しかし『無条件に愛する人』である 事にも間違いは無い。 今は周りが慌しいので、緊張感や不安感の中 生活しているが、少しずつ落ち着いてきたら 母と共に桜並木を散策してみたい。 朝、窓から空を見上げると 雨雲が一面に広がり、雫を落としていた。 しとしと降る雨は、植え込みに咲く桃の木や 花々に恵みの水を満遍なく与えている。 私は重くて動かない身体で、 ぼんやりと自然の美しさを想った。 時に自然は天災などで脅威となるが 何も無いときは優しくこころを宥めてくれる。 これから毎日、桃の木の前で 亡くなったKちゃんを想いながら 手を合わせて祈りを捧げたい。 Kちゃんの魂に語りかけるように 妹や姪を守ってねと、 絶対にあなたを忘れないよと・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.27 22:58:23
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