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カテゴリ:想い
時計を見て目を疑った。
起床したら24時を過ぎていたのである。 目覚ましのアラームにも 全く気付かなかったようで、 昏々と眠り続けていた。 13時間は眠っていたようである。 心身をゆったりと休ませる事が出来て その点だけは良いのであるが、 こんな滅茶苦茶な睡眠時間の 生活を送る自分が赦せない。 なんて情けないのであろうと 自分を責める。 朝は、可燃ごみの日であったので ごみを置きに行って 家に戻ると、コップに水を汲み 桃の木の前へ行った。 優しく水をかけて そして暫く手を合わせた。 Kちゃんに語りかけながら 祈りを捧げる。 春の陽は暖かく背中を温もらせて ぽかぽかとして心地が良かった。 祈りを捧げるようになってから こころが鎮まり、 その後また過食と嘔吐に走る事無く 服薬したらすっと眠りに落ちるようになった。 でもそれは、この頃とても苦しい 過食と嘔吐となっている為、 身体がぐったりとくたびれて もう何もしたくないと想うからという部分もある。 自分に必要な病症だと分かっていても、 こんな苦しい事を毎日繰り返していると 自身に辟易してしまう。 本当は深夜でも夜のうちに眠り、 お薬を全種きちんと服用して 夕方には起床したい。 でも何故か、この深夜と言う 誰もが眠っているであろう静かな時間が とても自分に合っているような気がして ゆったり過ごせるのである。 自分を見つめ直す時間に丁度良いと感じる。 主治医との電話診察の内容は 簡潔にノートへ記してあるので、 それを読んだり、 どうして私は『恐怖感』『不安感』に 囚われているのか考えたりするのに この静かな深夜と言う時間帯は ぴったりなのである。 しかし、ブログの更新が大幅に遅くなるのは 駄目だと想っている。 やはりもう少しきちんと 自分の生活を見直し、少しでも負担になることを 避けねばならないと感じる。 閑話休題。 人はよく、「あなたは誰の味方なの?」と 話し合いの場で『敵・味方』を 人に強いる事がある。 しかしこれは、人を“モノ”扱いしている と言う事に繋がるのである。 人は、誰のものでもない。 けれども『不安感』があると、 誰かを自分の味方にしたい と言う気持ちが働いてしまうのであろう。 私も時々そう想ってしまう事がある。 でもこれは少し傲慢な考え方なので 改めたいと想っている。 私の出生理由は、母が結婚した時 余りにも酷い親戚中からの苛虐と その場にいる父が何のフォローもしてくれない、 孤独や孤立した立場に置かされた事に起因している。 そして母は、自分の味方を欲っして私を産んだ。 だから私は生まれた時から 『母の味方』という使命があった。 だから母の期待に添えない時、 酷い叱責や打擲があったのであろう。 それでも、妹が生まれる3歳までは のびのびとした子どもであった。 アルバムを見ても私は無邪気に笑っているし どんな瞬間も母も私も笑顔だった。 その笑顔が消えたのは、私に 『素晴らしい姉でいなければならない』 と言う責務が加わったからであろう。 3歳以降の私の写真は、 笑顔もぎこちないし、表情に翳が差している。 弟は私が6歳の時に生まれた。 そしてもっと頑張らねばならなくなった。 母もまた、1人で3人の子どもを躾けねば ならなかった上に、 父も子どものような人間であった為、 母の心労は増えて行ったのであろう。 笑顔の少ない家庭になった。 崩壊するのは目に見えていた。 でも私は、その時が来るのが恐怖だった。 ただ、毎日父が母に対する罵倒する声が 耐えられず、母もいつも泣いていたので 早く離婚して欲しいと願った。 紆余曲折はあったが、両親が離婚した事は 正解だったと痛感している。 あのままであったら、母も私も 壊れてしまっていたであろう・・・。 朝、感じた春の陽射しは 身体にもこころにも心地良く、 風に乗って漂う甘い花の香りが鼻をくすぐった。 冬の間静止していたものが、段々と行動を開始して 新しいものが生まれ、また1年が始まっていくような 感じがした。 桃の花が散ったら、今度は次々に実を付ける。 今はこの暖かく心地良い季節に甘えてみよう。 ゆっくりと焦らずに病と共に生きていくためにも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.03.30 01:42:18
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