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カテゴリ:診察・カウンセリング
何か用事のある日は、
お薬を調節しないと 起きる事が出来ない。 もっと早く床に就けば 良いのであるが、 夜から深夜になり、 そして朝を迎える時間が 一番落ち着いているので 今の所そのサイクルは変えられそうにない。 困るのは、『寝付けない』と言う事である。 元々寝付きが悪いのであるが、 最近はその空白の時間に 過食と嘔吐へ走ってしまうので 厭になってしまう。 一時期は1日1回で 落ち着いていたのにと 想うと、悔しくて辛い気持ちになる。 電話診察の際、この事を 主治医に話した。 すると、納得のいく答えが得られた。 3月4日、Kちゃんが亡くなって、 それから周りが慌しくなった。 妹が倒れたり、行方不明になって自殺しようとしたり 今までの落ち着いた日常が嘘の様に消え去った。 そして私は、母に負担をかけない為に また良い子になろうとしていた。 これが直接、摂食障害の症状に表れている。 つまり、良い子になろうとするから こうして辛い状態になっているのである。 また以前のような落ち着いた状態に なる為の答えは単純明快である。 『良い子』をやめれば良いのである。 しかし、それはどういう事であろうか。 もう『良い子』でなくても良いと 頭では分かっていても、 『良い子』でない状態 と言うものが私には分からない。 その上、まだ母に対する『恐怖感』や『不安感』は 消えていない。 これらの事について、 主治医と話し合った。 主治医も、『良い子』をやめなさいと仰る。 そこで私が「はい」と言う事を聞くのも それはそれで主治医の『良い子』になる と言う事である。 こうなるともう、頭で考えてどうにかしようと するのが一番辛くなる。 だから、 自然に任せるのが一番 なのではないかと言う結論に至った。 『良い子』とはがちがちに観念の固まった 『強い子』でもあるので、 兎に角柔らかくなろうとする事が良いのかも知れない。 また、『良い子』と言う概念は はっきりしていない。 『良い子』の反対は『非行の子』という訳でもない。 状態としては、『良い子』とは 自分を偽っている状態にある と言う事なので、 『自分を偽らないのが良い子じゃない状態』 と言えるかも知れない。 最近の病状の推移を見てみると やはり私はどこかで『良い子』という 不自然な状態になろうとして 何もかもをコントロールしようとしていた。 先ずはこれをやめる事が 病状の落ち着きに繋がるのであろうと感じた。 閑話休題。 夜中、17歳のカ○テを観た。 私が大学生の頃観た時よりも ずっと、ぐっと、 胸に迫るものがあった。 あの頃、こころに刻んだ言葉は、 リサの、 『カミソリ痛い 水は寒い 薬は苦い 銃は違法 縄は切れる ガスは臭い 生きてる方がマシ』 と言う台詞であった。 今もこの言葉は忘れていない。 今回、改めてじっくりと鑑賞した際に こころに残ったシーンがある。 退院した下剤を欲しがる、 摂食障害で父親から性的虐待を 受けていて、自傷癖のある女の子が 自殺したシーン、その経緯である。 その後、病院に戻ったスザンナが 彼女に対する想いを切々と語っている 場面で、私は涙が止まらなかった。 正にKちゃんに対する想いと シンクロしたのである。 どうして私は気付けなかったのか。 何故私は、崖っぷちに立っていた 彼女の苦しみに何の行動も起こせなかったのか。 悔やんでも悔やみきれない。 ずっと涙を流して、字幕が歪んでいた。 でも、Kちゃんは家の植え込みで 桃の木となって存在している。 桃の木を見る度にKちゃんの事を 想い出す。とても純粋で清らかなこころを 持っていた彼女の事を。 私は彼女の生きていた力を 想い出しながら、それを学びながら 生きていきたいと想った。 母と共に夜桜を堪能できた昨夜、 少し安心感が生まれて こころがリラックスした事もあり、 シャワーを浴びた後、 1時間ほど仮眠していた。 それはとても心地良く、 少なくともこころの疲れは 幾分取れたような感じがする。 やはり、春は眠い。 冬の間は良い感じで 睡眠のリズムも食事の時間も あまり無理をし過ぎない程度で 毎日を送る事ができていた。 しかし春を迎える前、 親しい人の死に直面して こころが酷く掻き乱されて 今までの調子が分からなくなった。 毎日、凄く哀しくて TVなどを観ていて 見知らぬ人が死亡するニュースを 目の当たりにしたり ドラマで人が死ぬシーンを観たりすると すぐに亡くなったKちゃんを 想起して涙が止まらなくなる。 これは読書をしていても同じ事である。 心の変化があった事と、 季節の変化が重なったと言う事で、 少しからだのサイクルが乱れて 兎に角眠くて仕方が無いのかもしれない。 『眠り』こそ、私にとって 心身の疲れを癒す一番大切なものであると 本能が分かっているのであろう。 少ない量のお薬で13時間も眠れたり 同じ量でも3時間しか眠れなかったりと ペースを掴むのは難しいが、 それでも何とか生きている。 摂食障害の症状は、途轍もなく苦しい。 食べ始めて、後々辛い事になると 分かっていても、食べないではいられないのである。 その行為によって、見たくないものを 視界から消したり 感じたくないものを、 自分を麻痺させたりする事が 出来るからであろう。 苦しく辛い行為ではあるが、 私は確かに救われている。 病症が強く出ている最中では その事に付いて想いが及ぶ事はないけれど、 後になって冷静に考えると、 『あの時はそうするしかなかったのだ』 と考える事が出来る。 もっと他の事で積もり積もった 苦しみや哀しみ、虚しさや苦しさ、 辛さ・・・そして恐怖感や不安感を 受け容れて流す事ができるならば 良いのであるが、 今の私には摂食障害の症状と言う 形でしか一時的であっても 解消する術が分からない。 これはもっと抱えている感情が 比較的客観的に見られるように ならないと、他の方法は想いつかないであろう。 取り敢えず、少しずつ自分を自然に委ねるようにして 『柔らかさ』を持って 生きるのが私に今出来る事なのであろう。 電話診察が終わり、スーパーへ買い物に 行った後、身体が疲れを訴えていたので その声を聴いて暫く眠る事にした。 胃薬と、日中薬1回分を服用して TVを観ながらお蒲団の中で横たわっていたら いつの間にか眠っていた。 3時間半位、心地良く眠り続けていた。 久し振りに落ち着いた睡眠を摂れた気がする。 これからの私は、無理をせず なるべく柔らかく柔らかく気を持って 『良い子』であろうとしない事が 大切だと切実に感じている。 もう、これ以上病状を酷いものにしたくはない。 リラックスして、充分な睡眠を摂取し 落ち着いて過ごしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.04 00:40:16
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