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凍えたココロ

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2007.04.06
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夜中の3時半、

コンビニへ歩いて向かった。

家を出て真っ直ぐ

国道へ向かって歩いて

約5~6分の所にあるので

真っ暗な道ではあるが、

然して恐くない。

時々後ろから走ってくる

車にドキドキするが、

歌を唄ってちょっと変なヤツに

なってみて

誰も近付いてこないだろうと

勝手に想っている。

国道の横断歩道を渡らねば

ならないのであるが、

その信号は赤信号の時間が

長いので、少し走る羽目になった。

走るとやはりすぐに息切れして

肺の辺りが痛くなる。

帰りもまた、店を出た途端に

青信号へ変わったので

走った。

家へ帰ったらぐったり疲れてしまった。

朝を迎える頃には

右膝の上の筋肉が痛み始め

今も痛い。散々である。







電話診察の日なので

夕方には起床せねばならず

服薬は昨日の半分にした。

案の定、寝付けずに

母が卵焼きを作ったり

トーストを作ったりして

朝ご飯を食べる所だったので

その匂いにつられて私も

食べ始めてしまった。

少し、母に咎められた。







全てを終えてやっと眠れたのは

12時頃であった。

何度も断眠を繰り返し、

只管ワンピースを探すと言う

夢と現実が混在したような

夢を見てじたばた足掻いていた。

アラームが鳴り、起立性低血圧を起こさないよう

ゆっくりと起き上がり、

温めたスープを飲んで

ミルクティーを傍に置いて

病院へ電話をかける準備をした。

主治医からの宿題である、

『良い子じゃないと言う事はどういう事か』

と言う問題を考えながら

電話をかけた。







最初は自分の状態を話した。

やっと1日だけたっぷり眠れた事を

告げると、それで良いんだよと

仰った。だから罪悪感なんて抱く必要はないと。

そして宿題について問われて、

自分なりの見解を話してみた。

「自然体でナチュラルでいられる事が、良い子でない状態だと想います。

 けれども、家の環境や周りの人々が

 良い子であるように強制している状態だから

 私達は良い子である事から抜けられないと感じます。」


と言うものであった。

自然体が出来ないから困るのである。

そして、主治医は、

「大人になるにつれて、ナチュラルと言う“天然”にはもう戻れないよ。

 だから何かを考慮して吟味して話し合う事で

 その向こう側に突破しなきゃいけないんじゃないかな。」


と仰っていた。

もう、良いとか悪いとかの

次元を超えなければいけない段階である。

そして、良い子の姿とは

『雁字搦めで不自由』である。この自由度が高まれば、少しは

生きやすくなるのではないであろうか。


妹や弟の事を考えてみると、

彼らには良い子である必要がない。

つまり自由ではある。

けれども、発想の自由度は低いと感じる。

“抵抗”のないところの自由度はそれなりに自由かもしれないが、

抵抗だらけの所でどれだけ自由を掴み取るかが

人生だと想う。


今の所の答えとしては、

『良い子とは窮屈な状態である。良い子でない

と言う事は、色んな意味で自由度が

高いと言う事である。』


と言う結果に落ち着いている。

これからの対話によって、この答えは

より解されたものへと変化していくであろう。







摂食障害を発症前の私には、

自由度がなくて、ダイエットを始めた私は

もっともっと窮屈になり自由はなかった。

「食べてはならない」とか、

「これを食べたら太ってしまうから

 我慢せねばならない」等、

とても苦しかった覚えがある。

そこで、『虚無』について

考えたのであるが、

これは、自由度の低い状態である。

私が病気を発症する以前の子どもの頃から

そこから脱する為に始めたダイエットの事ばかり

考えている時の事である。

また、過食と嘔吐『虚無』かも知れない。

しかし、良い子はもっと『虚無』である。

親や人の言いなりになっている

状態であるから・・・。

それに良い子であっても、

蔑みさえ受ける可能性が大いにある。

自分を偽って頑張って努力しても

蔑まれるだなんて本当に虚しいし、

そう強く感じていた。

これは母にも当てはまっていて、

一生懸命頑張って子育てをしたり

家事をしたり気を沢山遣っていたのに、

親戚の人達や父から蔑まれていた。







私は未だに母に対して

『恐怖感』

を抱いているが、そうした母の

過去の経緯を知り、考えていく中で、

少しずつその『恐怖感』

レベルを下げていけたらと想っている。

そうする事、そういう方向へ進むしか

もう道は無いのであるから。







小さな頃から自由などなかった事や、窮屈な世界で

良い子として生きて来た事から、

たくさんのものを失った。

その失われたものが見えるからこそ、

その大事さや大切さが身に沁みて分かるのである。

私はたくさんのものを失い

取り返せないが、

それらが如何に大切なものであるかを

人に伝える事は出来る。

良い子として生きるのは

容易にやめられるものではない。

けれども、自分の中の自由度を高める為に

発想に自由を与えて

様々に考えを廻らせて

前へ進む事は出来る。

ゆっくりゆっくりと

焦らずに、

治癒に向かう為に生きたいものである。





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Last updated  2007.04.06 21:28:39
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