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カテゴリ:想い
うたた寝が心地良く、
夜中は1時間くらい眠ると 頭がすっきりとする。 何故か呼吸が苦しい毎日が 続いている。 きちんと肺の奥まで 空気を吸い込めない感じがして 生あくびばかりである。 日中のお薬を服用すれば 一応落ち着いてくるが、 時間が経つとまた苦しくなる。 そして頓服を服用すると言う 状態になる。 きっと、精神的に不安定な日々が 続いている事と、 過食と嘔吐の回数が 増えてしまった事も 影響しているのかも知れないと感じる。 本当は、 「食べたくない!」 と言う気持ちが強い。 食べ物を見ると気分が悪くなるし、 美味しいとも感じられない。 でも衝動的に「食べなければ!」と言う 強迫観念にも似たものが 何処からともなく出現して 抗えなくなる。 ただ、今までは決まった時間に 食べ始めていたのである。 けれども最近は、 ブログを綴り終わって 横たわっている時や、 真夜中を過ぎた頃など 不可思議な時間に衝動が襲ってきて 食べ始めてしまうのである。 後々物凄くしんどくて苦しい事も 分かっているのに、 自分の力では決して止められない。 唯一良かったと想えるのは、 久し振りに今日、 床に就いた後、そのまますっと 眠れた事である。 いつもなら眠ろうと想っても また食べたくなって 食べ始めてしまっていた。 けれども今日は眠気の方が勝って 少し堅い内容の本を読んでいたら いつの間にか眠っていた。 それはとても心地良かった。 やはり睡眠は大切だと痛感した。 朝の過食と嘔吐が終わった後、 母が昨日作ってくれた 『生命のスープ』を少しずつ飲んだ事も 安心感に繋がったのかも知れない。 野菜の甘味や仄かな塩気。 それらがとても身体とこころに 優しく心地良く感じられたので、 ホッとする感覚があった。 病気になってから母の手作りの 料理を口にする事が憚られていたので 安心して摂取できる 『生命のスープ』にとても救われている。 栄養満点であるし、母の温かい気持ちも 凝縮されている。 その温かさがスープの温かさと相俟って 安心感を覚えるのであろう。 15時頃、一度断眠した。 すると、遠くで雷が鳴っていた。 1人で居る時、雨が降っていたり 雷が鳴っていたりすると 忽ち不安になってしまうが、 柔らかい眠気に包まれていると、 その音さえ子守唄に聞こえる。 質の良い睡眠を得られると、 心身が楽になる。 今の私が唯一自分を委ねられるのは、 この『睡眠』である。 うつ病には 眠れるものと眠れないものがある。 勿論、眠れるうつ病の方が 治りやすい。 脳やこころの病には、 睡眠が一番大事だと主治医から 何度も聴かされている。 だから、眠り過ぎたとしても 罪悪感なんて抱く必要なんて無いと 言われている。 今は、過食の食べ物を安く購入 する為に、無理矢理18時半には 起きるようにしているが、 本当なら0時~1時まで眠っていられる。 でも、早い時間に買い物を済ませておき、 その後しんどいと想ったら お蒲団に入っておけば 自然に眠っている場合が多い。 それは、買い物をしておかないと 夜中のコンビニへ1人で行く私を 母が心配して熟睡できていない と言う理由もあるので、 この方法をとる事にしたのである。 また、18時半に起きて 買い物を済ませた後、 こうして比較的自分としては早い時間に ブログを綴る事もできる。 毎日の想いや考えを綴るには 丁度良い時間であるとも感じている。 母と一緒に買い物をする時、 いつも他愛のないお喋りをする。 母のお仕事の話であったり その愚痴であったりすることが多いが、 今日は、私が昼間寝惚けて口走ったらしい事を 話していた。 どうやら私は、 「お母さんは傍に何でも話せる人がいて良いね。」 と言ったらしい。 毎朝、母には恋人から必ず電話がある。 そして月曜日は午後からのお仕事なので 偶々今日、母の恋人が近くまで来ていた事で 会いに行った事がきっと羨ましいと 想っていたのであろう。 上記の言葉を口走った覚えは全く無い。 けれども母はそれを覚えていて、 「○○ちゃん、何か話したい事があったら私に話せば 良いんよ。頼りないかも知れんけど、 何でも聴くから。しんどい時とか辛い時、 そのまま言えば良い。言葉にするだけで 大分楽になるやろう?それに兄弟だって いるんやから、気軽に話せば良い。 胸の中に溜めてたら苦しいやろ? 母さんだって○○ちゃんの話、聴きたいもん。」 と優しく語りかけてくれた。 胸が温かくなり、想わず涙が出そうになった。 摂食障害の症状の苦しさは自業自得だと 考えているから、それで弱音を吐くのは駄目だと 禁じていた。でも、母にそう言ってもらえた事で、 幾分気が楽になった。 そこまで考えてくれていた事が嬉しかった。 これこそ、母と私が作り上げた世界であり、 その世界に身を委ねられると言う事ではないであろうか。 現在、母と私の2人暮らしである。 母は私を頼るし、私も母を頼る。 そしてもう一つ嬉しかったのは、 「今は私と○○ちゃんの2人暮らしで家には2人しか いないんだから、何にも遠慮する事はない。 一緒に支えあって生きていければ良いね。 もう、“お姉ちゃんなんだから”って頑張る必要なんて 無いんだからね。頑張らなくて良いんよ。 今は病気を治す為にゆっくりしなさいよ。」 と言う言葉をかけてもらえた事である。 何処かで無意識の内に、私はまだ、 『姉なんだから頑張らなきゃならない』 と言う想いを抱き続けていた事は否めない。 しかし、母の言葉によって やっと肩の力を抜くことができた気がする。 ゆっくり治癒へ向けて進んでいこうと想えた。 子どもの頃、母は本当に恐かった。 いつ叱られるか、打擲が始まるかと 気が気でなく、いつも怯えていた。 でも、温かい想い出もある。 この前ふと想い出したことであるが、 春、綺麗な川の土手へお散歩として赴いて、 母と2人、ヨモギを摘んだ事がある。 袋いっぱい馨しいヨモギを詰めて、 家へ帰ったらそれらをすり潰し、 蓬餅を作ってもらった。 それが仄かな甘味と良い香りがして 凄く美味しかったのを覚えている。 小学生の高学年であったと想う。 似たような植物があって、 「これはどっち?ヨモギじゃない?」と 母とお喋りしつつ、春の麗らかな陽の中 手を緑色に染めて、お互いニコニコしながら 楽しんだ事を覚えている。 だから決して嫌な想い出ばかりではなかったと 今更ながら感じる。 そんな想いを大切にして、 母の温かさを信じて 私は周りの方々の力を借りつつ 病気を治していきたいと決意した。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.16 21:35:01
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