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カテゴリ:想い
愛しき姪っ子が、
昨夜から水疱瘡に罹って しまった。 夜、発疹が出たので 救急指定病院へ母が連れて行った。 そして今日も、妹は仕事がある為、 母が夕方からのお仕事を代行にしてもらって 姪っ子の傍に居る。 だから昨日から、ばたばたしていたのであるが 熱も無く、姪っ子は元気だという事で 心配ではあるが、少し安心している。 考えてみると、昨日から 母と殆ど会話をしていない。 本当は苦しい胸の内を話したいけれど、 今は姪っ子の方が辛いのだから 私は黙って1人で延々と答えの出ない 問題を考えている。 そして1人の時間が長い事で、 考えは次第に闇に向かっていく。 『手首を滅茶苦茶に傷つけたい。』 『このまま死んでしまったら楽なんだろうか。』 『もう食べては吐いてを繰り返す毎日は厭だ。』 等、このような思考が スパイラルになってぐるぐると 回り続けている。 眠ってしまえば、こんな事考えないで済むし 心身も休まるのであろうが、 水曜日に眠り過ぎた為か、 心配事がある為か、眠れそうにない。 想えば毎日が食べ物との闘いである。 飽く迄、病気と闘っているとは言わない。 病気とは共に生きているのであるから。 唯、生きていく為には食べ物が 必要不可欠である。 だから私は『生命のスープ』を頂く。 ゆっくりと飲み下す。 その野菜の甘味や スープに染み出たコクが 身体にとても優しく、 私を癒し、助けてくれている。 だけれども、過食と嘔吐には 辟易している。 食べると想っただけでうんざりする。 殆どが普段食べない固形物や 脂っこいものなので 余計に気分が悪くなる。 吐き気を堪えてまで 必死に胃へと食べ物を詰め込んでいく。 もはや食事ではない感覚が 私を襲う。 最早『作業』以外のなにものでもない。 私はその苦しみを 分かっているのに 食べ物という代替物で こころの穴を塞ごうとする。 充分幸せな筈なのに。 母も優しく接してくれて楽になった筈なのに。 満たされている部分もある筈なのに。 なのに私は、それ以上を求めている。 上を見ればキリが無い事なんて 承知しているのに、 いつも何かに渇望している。飢えている。 その飢餓感が安易に食べ物そしてお酒など 依存しやすいものへと流されて いっているのであろう。 そんな自分が情けなくて哀しくなる。 しかし、そんな考えに縛られてしまったら、 忽ち『自在なこころ』を 失ってしまう。 後ろ向きな事だけ考えていたら、 全ての思考もネガティヴなものになり 暗い表情で過ごす時間が 増えてしまうであろう。 私は、病気を患っていても笑いたい。 笑顔でいたい。 色んな人とお話がしたい。 哀しい顔をしていたら、母も心配する。 母に心配を掛けるという事は、 母も参ってしまうという訳で、 廻り廻って私も参ってしまう事に繋がる。 少しでも、この辛い生活の中に 楽しみや喜びを・・・小さくても良いから・・・ 見出したい。 ネガティヴなままでいると、 見えるものも見えなくなる。 小さな喜びや幸せは、案外足元に たくさん転がっているもので、 それを拾い集めたい。 それは、独りの世界に閉じ篭ってしまったら 出来ないであろう。 私の周りに居てくれる たくさんの人々の優しさを感じ 感謝の気持ちを忘れずにいたい。 『ありがとう!』 『感謝します!』 と言う言葉を大切に大切にしたい。 上に記したような、ネガティヴな感情は、 一旦捨ててみたい。 本棚には、弟が置いていった 良い意味で凄く下らなくて、面白い 何にも考えずに読める漫画がある。 辛くなったらそれを読んでみようと想う。 きっと心持ちも少しは変わるであろう。 頑張る事は余り出来ないけれど、 努力ならできる。 無理をしない程度に、 やっていきたいものである。 がっかりした事が、1つだけある。 私は右耳に3つ、左耳に1つピアスホールが あるのだけれど、 右耳を3つにしたのは、私の憧れる 観月あ○さと一緒にしてみたかったからである。 しかし今日、ドラマの再放送を観ていたら、 『左耳に3つ』であった。 いつこんな勘違いをしてしまっていたのであろう。 これには本当にがっかりした。 自分の詰めの甘さに。 ピアッサーは後2つあるので、 6月辺り、美容室でヘアカラーとパーマを 施してもらった後、左耳にも後2つ ピアスホールを作ろうと想う。 こんなドジな所も直したいものである。 さて、今日も21時から『食わず嫌い』に 彼女が出演するので ゆっくりと観ようと想う。 こう考えてみれば、生きていても悪い事だけではないなと 感じられるのは不思議なものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.04.20 03:54:15
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