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2007.06.28
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カテゴリ:想い
暑さが体力を

奪っていく。







朝、いつもより早く

眠りから醒めた。

まだ眠り足らないけれど

頭の中だけは

覚醒している感じで

心地が悪かった。

そういう時、

普段なら過食

走ってしまう。

けれども、後々の事を

考えると心身が辛いので

我慢してみた。

暫くお蒲団の上で

横たわっていたら

また眠りに落ちたようで

母が出勤する頃

起きられた。

「いってらっしゃい。気を付けてね。」

と母に声をかけねば

何だか不安になるので

良いタイミングで目覚められて

安心した。







しかし、その後は

独りでずっと

家にいる事になるので

寂しさや哀しみ、不安感

押し寄せてくる。

朝はカクテルを飲まないように

しようと想っていたが、

どうしても時間が潰せないので

少しだけ飲む事にした。

身体の力が良い感じに抜けて、

余計な事を考えなくて済む。

飲み終わったら、

麦茶へと移行する。

お酒と違い、お茶は

スルスルと飲めてしまうので

胃がたぽたぽになる。

お茶を飲みすぎて

気分が悪くなってしまう事もある。

その代わり、新陳代謝が促されて

余計な水分が排出され、

身体は軽くなる。

何度もトイレへ行かねばならないのは

この水不足の地域では

困った事であるが・・・。







時々、居ても立っても居られない程

辛く苦しく哀しくなる。

何もかもが空虚で

生きている事すら面倒で

どうして私なんかが

生きているんだろうと

全てが厭になる。

そんな時、

「助けて・・・。」

と誰に向ける訳でもなく

こころの中で呟いている。

もう私独りの力では

如何ともし難い状況があって

途方に暮れている。

けれども、自分から

アクションを起こさねば

病を癒す事も出来ないし

様々な事に気付けず

過ごす羽目に陥る。

それは分かっていても、

病によって気力や体力を奪われ

動く事すら儘ならない状態に

陥ると、アクションを起こせない。

「主治医と話したい。」

「カウンセラーに相談したい。」


と想っていても、

気力がなければそれすら出来ない。

「動かねば・・・。」

自分を鼓舞しても

どうにもならない時、

己を責めてしまう。

動く事が出来ない自分を。

それでもこころは

救いを求めている。

助けを求めている。

この様な想いに板挟みになると

現実逃避を試みてしまう。

私にとって、それは即ち

『オーバードーズ』

なのかも知れない。

少なくとも、以前の私は

そうであった。







今の私が

オーバードーズ

しないでいれれるのは、

母と一緒に暮らしているからであろう。

これ以上母に負担をかけたくない

という気持ちがある。

また、母と他愛のない

お喋りをしていたら、

いつの間にか苦しみが緩和されている。

以前、母や妹に毎日責められていて

こころの救いは

カウンセリングルームでの

カウンセリングか

診察室での

診察しかなかった頃、

家に帰り着いた途端

過食と嘔吐を繰り返し

ぐったりと疲れた後は

処方薬を倍量服用して

意識を無理矢理消すように眠っていた。

現実に耐える力が無かったのであろう。

しかし今、母は

摂食障害うつ病について

理解を示してくれている。

これは私が生きていく上で

凄く救われている事実である。

だから、母が側にいてくれる限り

オーバードーズをしないで

済んでいるのかも知れない。

もしも未だに

家族の誰からも理解されず

非難されてばかりであったら、

自殺を考慮に入れたオーバードーズ

毎日考えて試みようと

していた事であろう。

要するに、オーバードーズ

私にとって、

沢山の事を全て独りで抱えねばならず

どうにもこうにもいかなくなって

苦しんだ末の行為だったのである。

普通の人や健康な人から見たら

『困った行為』と捉えられるかも知れないが、

この行為は無言で救いを求めている

という事なのである。


私は少なくともそう考えている。

誰にも言葉にして

苦しみや辛さを打ち明けられないから

意識を消して楽になろうという面もある。

また、この行為自体で

どうにもならない現実の苦しさを

表現しているとも言えるのではないであろうか。

だから、無闇にこの行為を

責めるのはお門違いなのであると

私は考える。







こころの病や脳の病は

他人の理解を得ることが難しく

時に責められる。

時に叱咤激励を受ける。

そうなると、

もっと頑張らねば・・・でも頑張れない。

だから私は駄目な人間なんだ・・・。


と一層自分を責めてしまう。

私の場合、特に言葉を真に受けるので

受け流す事ができず

情けない自分を目の当たりにする。

もっと気楽に、楽観的に

物事を捉えられたら

どんなに楽に生きられるであろうかと

考える事もある。

『好い加減』って

本当に大切だなと

切実に感じる。

もっと余裕のあるこころを

持ちたいものである。







正午過ぎ、突然空が暗くなり

大雨が降った。

少し湿った、だけど涼しい風が

部屋に吹き込んできたが、

雨は直ぐに止んで

夏のような太陽が姿を現した。

暑さに参ってしまったが、

太陽の光を受けると

ちょっとこころが軽くなる。

私はいつも色んな事に拘り過ぎて

考え過ぎる傾向にある。

それが自分を苦しめている事は

充分承知しているが、

強迫観念もあり

如何にもならない事が多い。

今、私に出来るのは

“無理をしない”事であろう。

そして自分を責め過ぎず

ゆとりをもって

生を延ばしたいものである。





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Last updated  2007.06.28 21:26:00
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