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カテゴリ:虚無
涼しい朝、
ぐっすり眠れたので ゆったり過ごせた。 しかし、同じ事を繰り返す この毎日に 辟易している。 なのに、同じ事を同じ時間にしないと 苛々したり 不快感を覚えたりする。 何か違う事をしようとすると 戸惑い、苦しくなる。 “変化”こそが 次の段階へと進める きっかけとなるのは分かっているのに、 それが出来ないでいる。 7月に入って、 これからやらねばならない事が 沢山あるので、 それに関しても不安がある。 美容室へ行ったり、 大阪へ行く準備をしたりと 色々あるが、やる気が出ない。 愚図愚図と同じ事を毎日 繰り返しているだけである。 そんな自分に腹が立つ。 このような思考の迷宮に 入り込んでしまうと、 生きていく気が失せる。 もっと元気に、希望を持って 前を向いて歩きたいが、 気が付けば俯いている。 うずくまっている。 “希死念慮”が頭をもたげて どうしたら良いのか分からなくなる。 「死んでしまいたい。」 という気持ちは、 何の前触れも無く湧いてきて それだけがこころを覆い尽くす。 この気持ちは理屈ではない。 いつの間にか、只管 「死にたい。」「消えてしまいたい。」 という想いが、土砂降りの雨のように 容赦なく心身に降り注ぐのである。 拭い去る暇も無く、傘もない。 そして晴れる事もない。 唯一、読書をしている時だけが 上記の邪念を振り払えている。 今は抑うつ状態にあるので 一気に読む事はできないが、 少しずつじっくり ゆったりしたペースで読み進めて ストーリーの中に入っていれば 現実もどこかへ行ってしまっている。 そして、昨日久し振りにCDを 購入した。 以前から欲しかった、 安室○美恵のニューアルバムである。 音楽を聴いている時も それに陶酔できれば心地好い。 同時にお酒を飲んでいれば 身体がリズムに合わせて 自然に動く。 最近ずっと、音楽を聴く事から 遠ざかっていたので、 改めて音楽の素晴らしさを 感じられた。 読書する事。音楽を聴く事。 厳しく、辛酸を嘗めるような 現実からほんの少しだけ 離れていられる。 しかし、離れていた反動はある。 忽ち現実に引き戻された時、 「やっぱり死んだら楽になれるのにな。」 と想い続けている自分に気付く。 無論、私が死んでしまったら 母を始め私を支えてくれていた人々に 物凄い苦しみをもたらしてしまう事になる。 3月に妹の親友を、自殺という形で 喪った経験から、 遺された者の想いは痛いほど 分かっているつもりである。 だから、死ねない。 生きねばならないと想う。 けれども私の毎日は 過食と嘔吐の辛苦が 膨張し続けていて それに伴ううつ病が 生きる気力を吸い取っていくのである。 客観的に考えれば それら苦しい事をしているのは 自分自身であるし、 病から抜け出せないのも 己の覚悟が足りないからなのであろう。 「もっともっと痩せねばならない。」 という気持ちの出所が分からない。 何処まで痩せたいのかも分からない。 私は何度も、拒食症で 物凄く身体が痩せてしまって 痛々しいスタイルになっている方の 画像をネットで観た。 「此処まで痩せてはいけない。」 という自分と、 「これだけ痩せたら満足するのではないか。」 という自分がこころの中にある。 私はお酒を飲むし、 過食と嘔吐は徹底的でも 流動物で野菜ジュースやスポーツドリンクを 摂取するので極端に痩せる事はない。 どうありたいのかさえ 見失ってしまったようである。 痩せたい気持ちと、死にたい気持ちと、生きたい気持ち。 そして太る事への恐怖、孤独である不安感、心細さ。 大体、これらが ぐるぐると頭の中を 行き交っている。 自分で自分を憐れんでいる 馬鹿らしく虚しい状態が 果てしなく続く。 希望を持とうとした気持ちは どこかへ行ってしまって 戻ってこない。 今は、ただ出来る事をこなすしか ないのであろう。 部屋で探し物をしていた時、 母からの手紙を見つけた。 そこには、 “今は苦しいでしょうね。 でもお母さんとそれを 半分こしていければ 良いなとおもっています。” というような事が記されていた。 思い掛けない発見で、 こころが温かくなった。 母は、私を想っていてくれている という事が、ダイレクトに伝わってきた。 少し、元気を取り戻せた。 今は無理が出来ない時であり、 頑張っても疲れてしまう時なのであろう。 もう少し、ゆとりをもって 余り自分を追い詰めないように したいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.05 21:31:35
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