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カテゴリ:想い
今にも
泣き出しそうな空を 見上げた朝。 私は只管 ぼんやりとしていた。 久しくしていなかった 朝の過食と嘔吐。 無意識の内に 行なっていた。 寂しかったのか、 心細かったのか、 そういった事を 考える余裕も無かった。 気付けばスープを作り 水分を沢山摂りながら 無心に食べていた。 全てが終わった後、 物凄く虚しくなって 泣きながら お蒲団の中に潜り込んだ。 そして2時間ほど 眠っていた。 涼しい日が続き、 比較的過ごし易く、 蒸し暑い日よりは 苛々しないで済んでいる。 それでも、 「私は独りである。」 という事を痛感すると 気分は堕ちていく。 日々、うつの状態が 酷くなっている感じがする。 昼の内はそこまで 落ち込まないで済んでいるが、 夕方からスーパーへ行く時間に かけて、どんどん 暗闇に向かって 疾走している状態になる。 そうなると、いつものように “生きる意味” を考え始めてしまう。 毎日、過食と嘔吐を 繰り返して苦しい。 「もうやりたくない!」 と終わる度に想っても、 食べたいという想いが 再び湧き始めると、 それを止める事ができない。 例えこの行動が、 自分を苦しめていると 痛いほど分かっていても その苦しい行為を 繰り返す。 そういった行動も 抑うつ状態になる 1つの原因である。 きっと、“生きる意味”に 何か全てを見出そうと している事が 間違いなのかも知れない。 生きていれば、様々な事がある。 2度と今日という日は訪れないし、 今日体験して感じた事を 明日の糧に出来る。 なのに私は、一旦 「もう死んでしまいたい。」 と考え始めると、 必死になって “自分が生きていても良い理由” を探しているように感じる。 母はよく、 「○●ちゃんが生きててくれてるだけで良いんよ。」 と言ってくれる。 でもそれだけでは 凄く申し訳ない気持ちになる。 私が生きている事によって 沢山の迷惑や負担をかけているから 「役に立つ人間にならなきゃいけない。」 と自分に言い聞かせる。 所が、頑張ろうとどんなに努力しても 身体が動かないと言う現実があり、 結局、食べて吐いて寝る・・・ その隙間に出来る限りの家事をこなす と言った毎日を送っている。 また、 生きる意味を1つのものに限定して それに縋ろうとしている自分を感じる。 上に述べた様に、 生きているこの世界は 多種多様に考えるものがあり 感じるものがあり 自然の力によって 生かされているのである。 私は、何か意味のあるものを 見出せたら、 それだけに固執して 視野を狭めている。 生きているだけでも素晴らしい事なのに、 自分の命だけは 直ぐにでも擲ってしまっても 良いと考えている。 自分という存在が重過ぎる 反面、命を軽んじている。 こういった考え方は、 「死ねば楽になれる。」 と頭の中で囁き続ける 自分が存在するからであろう。 でも、死んでしまったら それで自分だけは終わるが、 遺された、私を支え続けてくれた 人々には延々と苦しみと悲しみを 与え続ける事になる。 だから死ねない。 きっと私は、祖父母や母が 死んでしまったら、 直ぐに後を追うであろう。 今は、こう考える事しか出来ない。 間違っていると分かっていても そう考えていないと 崩れ落ちてしまいそうになる。 夕方になると、いつも 抑うつ状態になるのは、 また沢山食べ物を購入して 過食と嘔吐をするという事が 哀しいからであろう。 しかし今は、それを止める 勇気や気力がない。 余程の努力をしなければ、 この行為を止められないであろう。 摂食障害そしてうつ病を 生きるということ。 それが私の課題であり、 如何に生きていくかを考える チャンスなのかも知れない。 ただ、自分の命を軽んじる事だけは 止められるよう努力したい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.07 21:18:02
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