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2007.07.13
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眠りから醒めると

何故かいつも

憂鬱になる。

晴れていても

雨が降っていても

それは変わらない。







1日にやる事が

決まっている。

決まっているというよりも

決めているのかもしれない。

そしてその通り過ごさないと

調子が狂ってしまう。

少しは、予定外の

突飛な事でもすれば

気分も変わるであろうが、

それに対応できる

こころのキャパシティがない。

雨の中、近所を散歩したり

水田に雨粒の波紋が出来る様子を

眺めたりと

何だか楽しそうな事を

してみたいと想う。

でも、今は外出する事自体

辛く感じているので

勿体無いけれども

諦めている。







朝、早い時間に目が覚めたので

また「食べようか、食べまいか。」

逡巡していた。

朝から過食と嘔吐

してしまうと、

1日4回行なう事になる。

昼2回、夜1回は

必ずやらねば

気が済まないからである。

最近、体の調子が

芳しくないので、

4回となると

身体がぐだぐだになる。

だから毎朝、

「食べたい!」

という衝動を宥めねばならない。

今日は偶々、

ニュースを観て過ごせたので

どうにか乗り切った。







電話診察の日だったが、

電話する直前まで

凄く緊張していた。

もう、諦めようかなとも

想っていた。

しかしそれでは、

また自分だけの偏った

考えで、己を責めるだけに

なってしまうと感じた。

だから勇気を出して病院へ

電話を掛けた。

そうして良かったと

今、つくづく感じている。







最近の私は、

只管「死んでしまえたら・・・。」とばかり

考えていた。

その結果、毎日暗い顔をして

独りという寂しさや

心細さを持て余し、

闇夜を彷徨う感じで生きていた。

この、「死にたい」という

気持ちの奥に

何があるかを

主治医と話し合いたいと

強く想った。

しかし、今までの

診察の中では、

“死”に関する話は

タブーのように扱われていた。

しかし主治医は、

先日行なわれた

精神科医が集まる

学会のようなもので、

「こころの病を扱う上で、

 “死”に関する話は

 避けて通れない。」


という考えを抱いたと

仰っていた。

現に以前、

私が死にたい気持ちを

主治医に話すと

語気鋭く叱られた事がある。

今日も“死”に関することを

話そうと想っていたので

緊張していた。

でも、話の始めに

その主治医の考えを伺って

安心して言葉にする事が出来た。

今日、それらに関して

話し合った事は、

実りがあり大切なものとなった。

きちんと胸に刻んでおきたい。







生きるという事は、

沢山の辛さや苦しさ、

哀しみがある。

病を患っていると

特にそれらが

強く感じられてしまう

傾向にある。

だが、そんな毎日の中にも

“喜びや楽しみ”

だってある事を

忘れないでいたい。

気付いたら殆ど笑わない

1日を過ごす日もあれば、

哀しみに暮れて

沈み込み、涙を流す日もある。

しかし、そんな日常の中にも

楽しい事、嬉しい事も

ちりばめられているであろう。

それらに気付けるか、気付けないか

という事が問題となってくる。

勿論、楽しい事や嬉しい事を感じ

笑顔でいられると、

沈んでいた気持ちも

少しは浮上してくる。

このような小さな事でも

1日の印象は変わってくるのであろう。

今は不安、心細さ、哀しみ等で

こころが張り裂けそうであるが、

ちょっとでも楽しい事、嬉しい事、

喜ばしい事などに

敏感になりたいと想う。







“メメント モリ(Memento mori)”という

言葉が、今日の診察では

印象的であった。

“メメント モリ”とは、

ラテン語で

「死を想え」「死を忘れるな」

という意味である。

“死”は、誰の前にも平等である。

生きとし生けるものには、

必ず“死”が訪れる。

それまで、どう生きていくか。

これを私は暗中模索している。

私は今、病を生きている。

それにはきっと

意味がある筈である。

病と共に生きていくことは

辛く哀しい事も多いが、

そこから学べる何かがある。

時に死んでしまいたいほど

落ち込んだり、

病症に流されるまま

怠惰な生活になったりと

自分を赦せなくなる事もある。

しかし、時には

そんな自分を責め抜き

苛めるだけではなく

労わりたいとも考える。

この身体は唯一無二のものであり、

自分という存在は他にない。

難しく考え過ぎず、

柔らかさを大切にしたいものである。





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Last updated  2007.07.13 22:04:58
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