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カテゴリ:想い
曇っていると想ったら
突然太陽の光が 降り注いだ。 夕方には落雷の音が 響き渡ると 土砂降りの雨が 辺りを暗く染めた。 いつも通りの 変わらない朝・・・ だと想っていた。 しかし、地震の報道には 胸が痛んだ。 ガス・電気・水道の 供給がストップして 家が潰れ 今までの生活が 自然災害によって 断たれたのであるから・・・。 私が住んでいる地域も 30年以内に 大地震が起こる確率が とても高い。 病を患っていても 生活できているという事実を 大事にせねばならないと感じた。 これ以上、今日の地震の被害が 酷くならない事を 願って止まない。 夜中、認知症に関する ドキュメンタリー番組を 観た。 私の祖父は、 私が大学4回生の時、 脳出血で倒れた。 夜、急いで母と共に 運び込まれた病院へ急ぎ 容態を聞いた。 もし肺炎を併発したら 覚悟してくださいと 祖父の主治医は言った。 駆けつけた時、 まだ祖父は何も 処置されていなくて、 救急患者が入れられる 部屋にいた。 ベッドの背を上げ、 座った状態で 祖母や私達があたふたしている中 祖父は一点を見つめ 口を半開きにしていた。 「じいちゃん、じいちゃん。」 と呼んでも返事はなく、 やがて失禁した。 それでも医者は来なかった。 痙攣を起こした後だったので 急いで検査や処置をしなきゃ いけないのに、 医者は何をやっているんだと その時凄く憤った事を 覚えている。 やがてMRI、CT検査を経て どういう状態なのかを知った。 手術するほどではないが 出血の範囲は広く、 後遺症は避けられないと言われた。 確かにその時は 身体の右側に少し麻痺が見られ 唸り声しか上げない祖父がいた。 ICUに入った祖父。 幾ら呼びかけても返事はなかった。 そこには祖母、私と母、母の妹夫婦と その子どもたちがいた。 もう何も出来ないので 帰ることになった。 何も食していなかった私達は ファミリーレストランに入り 食事をしていた。 私は飲み物だけ飲んだ。 すると、祖母の携帯電話が鳴り 祖父が暴れている事を知った。 祖母の姿を探して暴れたと言う。 点滴やカテーテルなど 身体に付いている装置を 全て外そうとしたり ベッドの上に立ち上がったり したのである。 急いで祖母が病室に戻ったら、 落ち着いた。 私は毎日、祖父の元へ行った。 祖父は祖母がいないと 暴れてしまう為、 その日から約2ヶ月、 祖母は毎日病院に泊り込んだ。 最初の内、祖父は 目も余り見えなくなっていて 私が誰かも分からなかった。 しかし、日が経つにつれて 殆ど喋る事ができなかったのに 言葉が出てこない事は多いけれど 日常会話が出来るようになった。 幸運な事に右半身麻痺の 後遺症はなかった。 けれども、重度の認知症になった。 ご飯の食べ方が、分からない。 トイレへ行ったら、ベッドに戻れない。 同じ話を幾度と無く繰り返す。 それでも私は、何度も話を聞いて 返事をして、会話を楽しんだ。 祖父が笑うと私も嬉しかった。 入院中は母と、母の妹が協力して 祖母が1日1回家に帰れるようにした。 代わりに私が祖父の傍にいた。 その時はいつも 「ばあさんは、何処行ったんかいな。」 「わしを置いてどっか行ってしもうたんやろか。」 「いつごろ戻ってくる?」 「まだかな。まだ戻らんのかな。」 と言って不安そうにしていた。 祖母が戻ってくると 凄く嬉しそうであった。 祖母は看病に疲れているけれど、 祖父は大きな信頼を祖母に置いていて その夫婦像はとても美しいものに感じた。 老老介護なので、内実は 祖母にとても負担がかかっていて 最近は祖母の調子も芳しくない。 その上、この前 祖父が軽いパーキンソン病も 患っている事を知った。 祖父母は毎日苦しんでいるのに、 私は怠惰に暮らしている。 会いに行く事もしない。 なんて情けないんだろうと感じる。 外出が苦しくても 会いたいという気持ちは強い。 タクシーに乗れば それだけで済むのに、 毎日の病症がそれを阻み 大変な不孝をしている。 大阪へ行く前に、 会いに行こうと決意した。 認知症を患った祖父。 緩やかに病症は重くなる。 名前と生年月日は言えるけれど 年齢は言えない。 単語が出ない事も多い。 ポットをコンロの上において 火にかけてしまったこともある。 “記憶”に関して儘ならないけれど それでも祖父は生きている。 祖父の事を私は尊敬している。 段々出来ない事も多くなるであろう。 そう考えると胸が苦しくなるが、 生きていてくれるだけで 私は幸せなのである。 夜中のTVを観て そう想っている自分に気付いた。 きっと、母もその気持ちを 抱いているのかも知れない。 「生きていてくれるだけで良い。」 この言葉には、あらゆる 大きくて温かい気持ちが 込められているのだという事を 改めて実感した。 病を生きるのは苦しいけれど、 私は周りの人々によって 生かされている。 生きることが出来ている。 この事を絶対に忘れないでいたい。 朝8時に目覚めて、 やはりいつも通り 「食べるか、食べないか。」 と悩んだ。 今日は、「食べたらまた辛いんだ。」と 自分に言い聞かせる事が出来て ゆったり過ごせた。 しかし昼になれば 過食に走ったし、 全てを終えて疲れ、 一眠りした後も また過食と嘔吐をした。 シャワーを浴びる時間ぎりぎりまで 眠っていたら、 金縛りにあった。 耳の奥が変な状態になって TVの音が波打つように聞こえた。 頭が痺れ、手足も動かなくなって どうしようかと考えていたら 携帯のアラームが鳴って その音により身体の自由が戻った。 過食と嘔吐は想っているよりも 心身を弱らせていくものなのかも知れない。 今は取り敢えず 「生きていくこと」 を受け容れて無理をしないで 過ごしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.07.16 21:26:44
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