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2007.09.12
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カテゴリ:抑うつ感
抗うつ薬は

効果が現れるまで

1~2週間

要するものである。

初めてSNRIを

服用してみたが

然程生活に変化はなく

「今は薬効で衝動は抑えられている筈。」

といった思い込みで

過ごしている。







久し振りの遠出で

昨夜は疲れていたのにも

拘らず

過食と嘔吐をしなければならない。」

といった

強迫観念の元

無理矢理食べ始めた。

どうしてそこで

ぐっと堪える事が

出来なかったのか、

素直にお蒲団に

入らなかったのか、

非常に悔しく

反省している。

私には、努力が足りない。

強くそう想った。







私にとって、

過食と嘔吐

どういった意味があるのだろう。

いつも考えるが、

途中で思考が迷宮入りして

訳が分からなくなる。

以前と違い、母はとても

優しく温かい。

何でも言い合える。

嬉しい事も哀しい事も

また、怒りを感じる事も

言い合えるのである。

勿論、喧嘩というか

言い合いになる事もあるが、

最後には2人が納得のいく

答えが生まれて

抱き締め合い、

言い合いは終わる。

昨晩も、

「私はもっともっと痩せなきゃいけないんだ!」

と主張した事から

話し合いが始まった。

途中まで、自分の認知が

歪んでいるから出ている

言葉だと気付けなかったが、

母の意見を聞いている内に、

少しずつ、私の考え方は

ずれていると分かった。

これ以上痩せてしまったら、

母が言うように

身体は動かなくなるであろう。

栄養を摂取しない事から

うつ病も悪化して

今より病状は悪化するであろう。

抑うつ状態に陥ると、

本当に身体が動かなくなる。

何もかもが億劫で

思考能力も低下する。

次に何をするべきかも

分からなくなる。

ただ、一点を

ぼんやりと見つめ

自分の全てが固まるのである。

この状態は主に

スーパーへ行く前に起こる。

きっと、食べて吐く為の

食材を買うという

母に負担をかける行為が

申し訳ないし心苦しいし

堪らなく哀しいからであろう。

だが、食べ物が無いという事は

今の私にとって

パニックを引き起こしかねない。

「どうして生きなければならないのだろう。」

とずっと自分に問いかけた結果

お薬を過剰に服用する手段に

出てしまう。

だが今日は、服用する前に

思い留まることが出来た。







日中は、相変わらず

カフェオレを飲んでいる。

エスプレッソのコーヒー豆は

吃驚するほど高値だったので

買うのを躊躇した。

だから、市販の

ブラックコーヒーを

ミネラルウォーターで薄めて

低脂肪乳を入れて

飲むようにしてみた。

余り美味しいとは

感じられないが、

ゼロカロリーのシロップによる

甘味で何とか飲める。

後は、只管氷を

食べられたらそれで良い。

私に贅沢なんて

赦されないのであるから。







カフェオレを飲むようになってから、

少しずつ浮腫みが取れて

腕や脚は細くなった。

しかし、栄養失調の状態は

続いているので

お腹だけがポッコリと

出ている。

下剤を服用していないのに

毎日お腹を下しているし

カフェインによって

胃痛がまた酷くなった。

何かをしていないと

落ち着かないのである。

煙草を吸って、低カロリーの

カフェオレを飲んで

氷を食べ続ける事によって

こころの均衡を図っている。

これは強迫行為の一種である。

摂食障害の病症は、

強迫神経症からくるものでもあると

主治医から伺った。

ゆったりと、想いのままに

食べ物だけに囚われる事のない

生活を送ってみたいものである。








摂食障害を癒そうと

努力なさっている方を

ブログで拝見すると

尊敬の気持ちを抱く。

一生懸命であり、

きちんと自分と向き合い、

所謂普通の食事

定期的に摂るよう

頑張っていらっしゃる。

「見習いたい」

と強く想うが、

私にはまだ、こころの中で

複雑に絡まっている糸が、

過去からのしがらみが、

解けないし解決できない。

また、うつ病による

意欲の低下や

頑張ろうと想っても

そうできない事もまた、

病を癒そうとする気力を

殺いでいく。

綴ってみたら

「ただの言い訳じゃないのか?」

と自分に問い質したくなるが

これが現状だと

主治医も仰っていた。

無理をすれば、しただけ

反動として何倍にもなって

自分に覆い被さる。

そして病状が悪化するという

悪循環となるのである。

どうしたらいいのかと

途方に暮れてしまう。







考えるのは、

人によって病を癒す道は

それぞれであり

ふとした事を切っ掛けに

スッと癒される人も居れば

袋小路に迷い込んで

病の中で生き続けている内に

試行錯誤しながら

癒しへの取っ掛かりを

つかめる人も居る


という事である。

摂食障害と一言で言い表せても

病状は100人いれば

100人違う。

主治医から言われて

頭から離れないのは、

「謂わばこの病気は、○○(私のフルネーム)病

 なんだよ。○○病なんだから、

 あなたなりの病の癒し方が

 あるという事。」


という言葉である。

誰かに倣ってそれで

癒せる訳ではない。

しかし、

“いつか病を癒せる”

という希望だけは

捨ててはならないと

改めて感じた。

いつまでも病の症状に

苦しんでいると、

それは治そうとしていないからだと

表面だけを見て

言う人も少なくないが、

その人にはその人なりの

ペースがあり

行きつ戻りつしながらでも

生きていきたい、病を癒したいと

願っているのでは

ないであろうか。

だから、病症から

離れられない方に対して

「病を癒そうと頑張っていない。」

「努力をしていない。」

と区別してしまうのは

哀しい事だと私は感じる。







スーパーへ行く道々。

いつも頭の中で

「私なんか死んでしまえ。」

という声がエンドレスにリピート

している。

だが、スーパー内で母の姿を見つけると

不思議な事に

フッとどこかへ飛んでいってしまうのである。

偏に“1人の寂しさ・哀しさ”が

そう想う原因なのかも知れない。

いつまでも甘ったれてはいけないと

想うが、

こうして母と時には友達のように

時には仲の良い親子として

過ごせる事に感謝したい。

落ち込んだ際に発生する

鬱気は、あの西の空へ飛ばして

夕陽と共に沈めてしまおう。

そして新しい朝陽を

ありがたく迎えたいものである。





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Last updated  2007.09.12 21:20:24
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