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カテゴリ:診察・カウンセリング
結局、映画館へは
行けなかった。 眠ってしまったら 起きられない事は 分かっていたので 必死に起きていた。 けれど、体調の悪さや 知覚過敏の症状が酷く 意識があるという事に 耐えられなくなった。 そして私は 抗不安剤だけを服用して 身体を横たえ 眠った。 目覚ましのアラームが 何度鳴っても それを止める事すら 出来なかった。 身体が動かない上に 怠くて仕方が無かった。 母には謝って 次の機会にしてもらった。 私も楽しみにしていたが 母はもっと楽しみにしていたので とても申し訳ないと想った。 外出するとなると 過剰に緊張してしまい 心身が疲れて 余計、身体が動かなくなる。 悪循環だという事は 分かるけれど、 今は本当に 外へ出る事が、怖い。 誰も自分の事なんて 見ていないし 気にしていない事は、 承知している。 だが、私は 他人の何かが、怖い。 もう少し、努力して 外に出る練習から 始めなければならないと想う。 眠る前に服用した お薬は、 普段と比べると かなり少量なのに、 8時間は眠っていた。 普段は強いお薬を 服用しているのにも拘らず 4時間弱で 目覚めてしまう。 きっと身体とこころは 身体を動かさない為に “睡眠”を選択したのかも 知れない。 夕方からは、 主治医の電話診察を 受けた。 その前に、 母が病院へ行って 主治医とお話をして お薬を貰ってきてくれるので、 SNRI中断後の 自分の状態や 気持ちを母から伝えて もらえるように 手紙を書いておいた。 電話診察は18時からと なっていたので その前に母が帰ってきて 私が書いた手紙の裏に 主治医が重要な点を 書き記したものを読んだ。 「SNRIを中断しても、変化が無かったが まだ日が浅いので保留。」 「三環系抗うつ剤の離脱症状である可能性が高いけれど こんなに続くのはどうしてなのか。」 「他に考えられる原因は、アルコール・低栄養。 これは神経障害の疑いあり。」 「取り敢えず、お薬は様子を見て ビタミンB6を含む総合ビタミン剤を 増量。」 という事が書かれてあった。 私が思い当たるのは、 低栄養状態の上に アルコールを摂取している事による 神経障害ではないかという事である。 電話診察を受ける際、 それを伝えた。 だが、この症状ばかりは どんな検査をしても 原因は分からないそうである。 そしていつまでも続く 脳に電流が走り、同時に 耳鳴りがする感覚。 急な動作、高音、大きな音 自分の声にすら この不快な感覚が脳を 貫く。 脳自体は痛みを持たない 器官である。 冷たいものを食べた時など 頭がキーンと痛むのは、 脳の周囲にある血管壁が 収縮する事によって 起こるものなのである。 私が感じている 電流系の知覚過敏は 一体何なのであろう。 この所為で、不機嫌になってしまったり ヒステリックになったりと 母にさえ不快感を与えてしまっている。 それもまた、悩んでいた。 しかし主治医は、 「不機嫌で居られる状態が、甘えられているという事。」 と仰っていた。 にこにこしながら 可愛らしく甘える方法もあるが、 殆どの人が、 “自分の、素の状態” を出せるようになる事から 相手との関係が 深まっていくのではないであろうか。 よく、 「病気だからといって甘えるな!」 といった言葉や文字を 聞いたり見たりするけれど、 人間はどこかで人に甘え、 また人から甘えられる事で 関係が成立している部分がある。 甘えの無い関係は、 非常にドライで哀しいものだと 私は、感じる。 病気だからこそ、 また、私は子どもの頃 甘えられなかった・・・つまり 本当の素の状態で 居られなかったからこそ、 甘え方を考えたり 様々な努力をしたりする事が 大事なのではないかと想っている。 今の私にとってそれは、 母の前で不機嫌になる事は あっても、 そんな自分を出せているのは 進歩したという事なのかも知れない。 主治医からそう聞いて 一抹の不安はあったが 納得した。 その不安というのは、 私が不機嫌な状態にあると 母までも不機嫌になり きつい口調で怒り始めるのである。 今、私は主治医が仰った 神経障害の疑いがあり その症状は途轍もなく苦しいので 直ぐ不機嫌になったり ヒステリックになったりする。 そうすると母は怒る。 それが、凄く怖いのである。 母を怖いと想う気持ちは 子どもの頃から存在している。 なるべく、怒られないように 怒りを買わないように 顔色を窺って過ごしてきた。 今の私にはその余裕がない。 だが、却ってその状態が 母と新しい関係を 築き上げるチャンスになった。 主治医は、母にも 素の自分を見せたり そうやって不機嫌な状態を 見せたり出来る事は 良い事であると伝えたと仰った。 不機嫌な相手を見て、 自分がどんな態度をとるかが 問題なのである。 片方が不機嫌だからと 一緒になって不機嫌な状態を 見せたらきりが無い。 お互いが、どう受け止め どう接していくか 考えていきたいと想っている。 そしてもう少し 神経障害の症状に 振り回されないよう なるべく穏やかな気持ちで 居たいものである。 生きていくという事は、 病を治すという事である。 今は、沢山の条件付きで 生きている。 「痩せていなければならない。」 「太ってはならない。」 「○時には~~をしなければならない。」 等といった殆ど強迫観念によって 突き動かされて生きている。 健康になるという事は、 条件抜きで生きられるように なるという事なのであろう。 想えば、昔の母と今の母では 違う部分が多い。 3年前の母であれば、 私の通う病院へは 行ってくれなかった。 そして主治医と私の事を 話し合う機会も持たなかった。 それが、今は私の調子が 悪いとなると 直ぐ主治医に電話を掛けて 相談できる関係が出来上がっている。 それを主治医は良い変化だと 喜ばしい事だと仰っていた。 『生きる≒治す』 今は沢山の条件付きで 生きていく事から 抜けられないでいるが、 生き方を考え、投げ遣りになったり 諦めたりしないよう 過ごしたいものである。 そして主治医の指示通り 安静にしていたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.09.25 21:42:20
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