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凍えたココロ

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2007.09.28
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消炎鎮痛剤が

手放せない日々の

始まりとなった。







月経が始まったと想ったら

出血が止まったので

「まあ、こんな事もあるか。」

と考えていた矢先、

下腹部の痛みと腰痛が

酷くなってきた。

本格的に始まったようである。

煩わしい1週間。

痛みに苦しむ3日間。

鎮痛剤を服用しないと

のた打ち回るほどの

痛みがあるので

困ってしまう。







就寝前に

ベゲタミンAを

服用するようになってから

とても気持ちが

穏やかになった。

浮腫むのが怖くて

服用を避けていた。

しかし、連日服用したら

頭の中で自分を罵倒する声も

殆ど聞こえなくなったし

過食衝動

和らいでいる。

“こころの安定”

というものが、

過食衝動

遠ざけているのだと

ひしひしと感じる。

また、主治医からのアドバイスで

ベゲタミンAの服用により

浮腫みが現れるようなら、

他のお薬を減らすようにという

調整の仕方を伺ったので

実践してみようと想う。







電話診察を受け、

先ず始めに自分の状態を

告げた。

前の処方に戻した事から

知覚過敏などの症状が

殆ど無くなったので、

やはり原因は

“抗うつ剤の離脱症状”

という事であった。

こうなると、困った事になる。

また、お薬を変更する際

同じ症状が出る可能性が

とても高いからである。

ずっと同じお薬を服用し続ける

訳にはいかない。

だから、段階的に

少しずつ量を減らしていって

変更ということになるのであろう。

だが、私が服用している量は

物凄く少ない。

2種類の抗うつ剤を

1日に10mgずつという量である。

重いうつ病の人は

1日150mgほど処方されている。

だから、こうして

離脱症状が現れるほど

服用していない筈である。

だが、これらのお薬は

3年位服用し続けたので

それにも起因しているのかも知れない。







電話診察を受けていて

一番印象に残ったのは、

「病は努力で治るものではない。」

という事である。

必要なのは、

「周りに支えられながら、辛抱する。」

という事なのである。

考えてみれば、

この2週間離脱症状に

苦しみ悩んだが

努力しても治るものではなかった。

只管、辛抱するしかなかった。

そして自分の苦しみを

周囲の人に伝える事で

支えてもらっていた。

それでどうにか乗り越えられたのである。

病では、風邪も同じく

誰もその苦しい症状を

引き受ける事は出来ないけれど

お粥を作ったり、氷枕を作ったりと

身辺の世話をする事ができる。

患者は、症状の辛さを

“辛抱”して

快復を待つしかない。







ここで、疑問が浮かんだ。

「辛抱と我慢は何が違うのか。」

というものである。

私は物心ついた頃から

我慢を強いられて生きてきた。

我慢する事が当たり前であった。

“我慢”・・・それは、1人でする

孤独なものなのであろう。

1人、黙して必死に耐える。

だが、そこから何も生まれない。

“病を治すための辛抱”

は、周囲の人々との関係も

深まるであろう。







「病を治そう。治したい。」

という気持ちは、

「生きていきたい。」

という想いと同じである。

私が受診中、

「治そう、治したいと想うけれど、

 今は病気の症状が苦しくて堪らなくて

 足掻いて溺れているような状態だから

 決心がつかなくて情けないです。」

と言った。すると主治医は、

「そういう“情けない”とかいう次元じゃなくて、

 あなたは本当に生きたいの?って想うよ。」

と仰った。

確かに、生きる気力が無い。

余り、生きていきたいとも想えない。

という事は、まだまだ

「病を治したい。治そう。」

といった所からとても

遠い場所にいるようである。







そして、こころに残ったのは

もつれた糸を解くには、固く絡まっている

所ではなく、まずは緩い所から

少しずつ解いていかねばならない。

固い所を必死に解こうとしても

余計に絡まるだけである。

他の部分から解いていったなら

いつかその固い部分も

緩んでいる事もある。

だから、1つの事だけに固執するのではなく

もっと、ものの見方を

広げる必要がある。


という事である。

確かに、摂食障害の症状だけを

見ているだけでは

何も解決しない。

どうしてその症状が必要なのか、

どうして生きる為に痩せていなければ

ならないといった“条件”が

必要なのかなど、

他にも沢山、考えるべき事柄は

存在しているのである。

摂食障害の症状を

排除しただけでは、

治ったとは言えない。

この事については

これからも考えていきたいものである。







今日の電話診察で

主治医と話し合った内容の中には

もっと印象に残るものがあった。

それは生きる為に必要であると考えている。

専門家と話し合う事で

考え方も広がり、それがまた

生きる意味へと繋がっている。

病を患っていると

どうしても小さな事に執着して

それだけしか見えなくなる事がある。

それは、仕方のない事だと想う。

だから、少しずつ知識を蓄え

物事に対する考え方も

余裕のある広がったものに

していきたいと想った。

“太る”という事に

異常なほどの恐怖感を持っているが

“精神が太る”という事は

受け容れられるような気がする。

治そうとしていない、治したいと想っていない

という事は、つまり

今、生きていくのが精一杯であり

生きていく気力がない

という事にも繋がるかも知れない。

そんな自分を卑下し過ぎるのではなく、

いつか生きていこうと想えるような

治そうと想えるような

考えを抱けるように

精神から太らせていきたいと感じた。





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Last updated  2007.09.28 21:18:03
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