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凍えたココロ

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2007.10.04
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カテゴリ:虚無
毎日楽しみにしていた

20時過ぎになれば

飲み始める“発泡酒”を

美味しいと感じられなくなった。

涼しくなった所為も

あるのかも知れないが、

身体が拒絶しているという

感じもする。







私が飲んでいる発泡酒は

比較的あっさりとした

クセのない味なので

飽きる事はない。

この味に慣れてしまった為、

麦酒を飲むと

その濃い味に戸惑いを覚える。

「もう、酔えたら何でもいい。」

という想いだけで

グラスに注ぎ、飲む。

独り酒ということもあり

楽しくはない。

それでも、飲まないではいられない。

精神的に、私は

アルコールに依存しているのであろう。

現実の過酷さを忘れられる

簡単な手段として

飲酒を選択している。







何より、お酒を飲んでいれば

過食をしなくて済む。

食べないでいられる。


この時間がなければ

私は1日中、“食べて吐く”行為を

繰り返してしまうのであろう。

そんな苦しみを味わう位なら

身体に悪い事に変わりはないけれど

お酒を飲んでいた方が楽である。







4時頃、就寝前のお薬を

服用して

6時過ぎに眠った。

段々、寝付きが悪くなっているが

だからといって

過食と嘔吐といった

一連の作業に走ろうとは想わない。

もう、身体が参ってしまっているのを

痛感しているからである。

読書をしたり、漫画を読んだりして

時間を潰す。

その間、朝のニュースを聞いている。

空が白み始める頃

逃げるように意識が

フェードアウトする。

そして15時頃、眠りから醒める。







先ずは水分補給をして

煙草を吸う。

すると、いつものように

「食べたい。」

といった気持ちは失せる。

以前の私であれば、

PCの電源を入れて

ネットでブログを読む。

麦茶オレと氷で

何も食べない状態へ持っていく。

しかし、ネットをする気力が

湧かないし、

氷をアイスピックで砕くのも

面倒臭いと想ってしまう。

ぼんやりしながら

ドラマの再放送を観ていると

「何だか手持ち無沙汰だ。」

といった理由で

食べたくもないのに過食

始める。

その時点で、もう意識は

ぼんやりとしていて

半ば解離している。

「早く全てを終わらせたい。」

という気持ちだけで

動いているといった感じである。

全てを終わらせて後片付けも済み、

身体を横たえると

夜の事を考える。

「○時に発泡酒を飲み始めて、○時に食べ物を

 決めた順番に食べ始め、戻す・・・。」


うんざりしてしまうが

そうしないではいられない

強迫観念・強迫行為

コントロールしたり

意識から断ち切ったり

するのは不可能である。







スーパーで買い物をしている時も

時々意識が飛んだ。

歩き回っているだけで

何がしたいのか、何を購入したいのか

分からなかった。

取り敢えず、いつも購入している

商品をカゴに入れて

パン類が陳列されているコーナーに

佇んでいた。

そこに、母がやってきた。

「何買うか迷ってるの?」

という言葉で意識が段々

はっきりとしてきて、

母との会話を続ける事で

漸く自分を取り戻した。

そこで気付いたのは、

「毎日毎日、こんな事を繰り返したくない。

 食べて吐く為に食べ物を買うなんて辛い。

 治したいけれど、生きていく気力すらない。

 だけど、生きていかなきゃならない。」


といったループを切断できない

自分に、苛立ち憤っている

という事である。







高校生の頃、お弁当箱は

手の平サイズの小さなものであったが

そこに極めて少量ずつ入っていた

ご飯も、お肉も、お野菜も

食べる事ができていた。

直ぐ低血糖を起こすので

お昼休みまでには

1口チョコレートを

授業の合間に消化していた。

それでも太らなかった。

適量であれば、お肉や

ご飯、甘いものを食べても

太らないのは分かっているのに、

今の私にはそれらを

食し、消化するのは無理である。

モズク等の海藻類は

食べられるようになった。

甘いものも、ミルクティーなら

抵抗なく飲める。

だけど、お肉は怖い。

「1口でも食べたら太ってしまう。」

といった歪んだ意識がある。

だから、たとえササミのように

高タンパク低カロリーのものでも

それは過食に繋がる

食材となっている。

「適量を、栄養バランスを考えて食する。」

これは望んで止まない行為だが、

まだまだ恐怖感が付き纏う。







だが、拒食・過食・嘔吐等の

症状が一時的に無くなったり

回数が減ったりしたからといって

病自体が治ったとは言い難い。

そこが、摂食障害という病の

難しいところなのであろう。

私から過食と嘔吐の症状を

省いたら、きっと拒食状態

続くという事になると想う。

自分のこころの、根源にある何かを、

複雑に絡み合っている糸を

見つけ出したり解いたりしない限り

完治は難しい。

今の私には、根源に何があるか

どんな風に何の糸が絡まっているか

見えないというか、見ないように

しているのかも知れない。

それは、今を生きるだけで

精一杯だから。

そして日々、生きる気が失せているから。

漫然と、漠然と、生きている。

目標意識を持とうと想っても、

それを考える前に

生きる事に対する

“絶望感” “失望感”

というものが意欲などを

圧し折ってしまう。

「疲れた。何もかもに疲れた。

 生きていて何になるのか。」


その想いが頭の中を駆け巡る。

そして虚無の世界が

こころの中に広がっている。







スーパーに向かって歩いていると

道端に白い曼珠沙華が何輪か咲いていた。

赤い花は良く見るけれど、

白い花は久し振りに見かけた感じがする。

4日というKちゃんの月命日に

その曼珠沙華を発見した事は

何か意味があるのかも知れない。

私は毎日、彼女を想う。

23歳という若さで

死を選択した彼女の事を。

Kちゃんが植えてくれた桃の木。

想う事があった時、木の前で

手を合わせて彼女を想う。

妹も、少しずつ彼女の死から

立ち直っているが、

今もまだ想像できない位の

哀しみの中にいるのであろう。

生きる事について考えるのは

決して無駄なものではないと想う。

病気が辛いからという理由で

死を選んでしまったら

哀しみを遺してしまうだけであろう。

生きていくという事。

死なないでいるという事。

病の症状は辛苦が伴い、

身体をぼろぼろにしていくけれど、

白い曼珠沙華を見て

諦めず生きていこうと考えた。





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Last updated  2007.10.04 21:38:26
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