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凍えたココロ

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2007.10.05
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また、暑さで目覚めた。

最高気温は29度強との事で

部屋はもっと暑かったのだろう。

エアコンを付けて

また眠った。







10時間ほど眠り、

まだ薬効の残る身体で

ぼんやりとしていた。

「何もしたくない。怠い。」

此処の所、眠りから醒めると

そんな想いだけを抱いている。

16時前に起き上がり

水分補給をした。

煙草を吸うと、もっと意識が

重たくなってきた。

電話診察を受ける日なので

過食と嘔吐はしないで済んだ。

ドラマの再放送を観て時間を潰し

シャワーを浴びた。

起床してから大分時間は経っていたが

それでもまだ身体の怠さは

続いていて

「何か、もう、全ての事が面倒臭い。」

という気持ちで溢れた。







でも、シャワーを

浴びている時だけは

無心になれる。

頭から足の先まで全て

綺麗に洗っていると

何だか浄化されるような

気分になるから不思議である。

鼻歌を口ずさむ余裕は無かったけれど

随分さっぱりした気持ちになって

その後過ごす事ができた。

ただ、まだ眠かった。







17時40分、

病院へ電話を掛けて

電話診察が始まった。

受診が終わった後、

何だか温かい気持ちが広がった。

受診中は確かに

厭な想い出を話す事があったり

過去の傷について述べたりしたが、

それらが今生きていくのに

如何に影響しているか

少し分かった気がしたからであろうか。







小さい頃から苦しい時、辛い時、

寂しい時等

誰かの助けを求めたいと

想っても誰もいなかった。

母はその頃、父方の親戚全員に

陰険な苛虐を受けていたし

父はそんな母をかばう事もなかった。

その上、私達3人の子どもを

育てねばならないプレッシャーも

あったのだろう。

母は余裕のない状態であった。

父は言及するまでもなく

子どもに対する愛情なんてなくて

母が私達子どもに掛かりっきりだと

拗ねて、母に罵詈雑言を吐くような人だった。

学校へ行っても友達と話している時は

楽しかったけれど

最も私が辛い状況にあった時の

担任は

「女子はうじうじしているから嫌いだ。」

と公言して男子生徒と

一部の優秀な女子生徒だけを贔屓した。

暗くなっていた私には

辛辣という言葉を通り越して

人道的に酷い言葉を

何度も投げつけられた。

苦しかった。救いが、欲しかった。

だがそれは叶わなかった。

それは今、ペシミスティックに

生きている要因の1つとなっている。

この世に“愛”なんてない。

それが私の出発点なのだから

今更“愛”を求めても

下らない。どうせいつか終わる事。


と最初から諦めている。







だが、主治医の見解は、

「あなたは、愛に生きる人。」

というものなのである。

それは、今日見た夢にも

表れていた。

長い夢だったので一部抜粋すると

「こころから慕っていて愛する人が

 余命幾許も無いと知り、私は自分の

 想いを伝えた。そうしたら、相思相愛になり

 2人は口付けをした。しかしその直後、愛する人は

 大量の血を吐き、倒れた。

 やっと私は愛する人と共に生きていけると

 想ったのに、その想いは打ち砕かれた。

 離れたくなくてずっと首を抱いて傍にいた。」


というものである。

この部分を聞いた主治医は、

「今まであなたの事をマネキンだと言ってきたけれど

 やっとマネキンじゃなく、

 愛に生きる人へと近付いてきたね。」


と仰った。

たとえ、意識がある内は

愛を否定して、「愛なんて・・・」と

諦念の感を抱いていても、

本当は“愛”を信じたい

想っているのかも知れない。







愛には、沢山の形がある。

異性との愛は、情念も加わる為

少し特殊な形であるが、

“家族愛” “親子の愛”

“兄弟間の愛” “友達間にある愛”

等、様々なものがある。

それぞれが穏やかで、温かいものである。

こうして“愛”で括ってしまうのは

綺麗事かも知れない。

だけど、信じたいと想う。

なのに、私は素直になれず

ひねくれものであり

天邪鬼だから

それらを否定してしまう。

出発点が、愛の無い状態だったから

今更信用しようと想っても

出来ないのである。

いつも、疑いから入る。

今の母との関係でさえ、

以前の諍いが絶えなかった事を

考えると、

「今だけではないか。」

と不安になり、疑心暗鬼になる。

そこで大切なのは、

“お互いの生を受け容れて生きていく事こそが

 愛を生きるという事”


というものなのであろう。

急にそんな生き方へ

自分を導く事はできないが、

今一度、照れくさいが

“愛”について考える事も

大事なのではないかと考えた。







夜中、突然豪雨が降り注いだ。

きっと、私が普段やらないような事を

したからであろう。

昨日、母は25km程離れた

利用者さんの家でのお仕事があった。

こうなると、お仕事よりも車の運転が

大変なのである。

そして夜の買い物が終わった後、

「体が凝った。背中をふわあんって

 マッサージして欲しい気分。」

と言っていたのを想い出し、

「お母さん、背中、押そうか?」

と提案したら

「ん?押したい?マッサージしたい?

 なら、やってもらおうかな。」

と事が運び、久し振りに母の背中を

マッサージしてツボを押したのである。

珍しい事をしてしまったから

空も吃驚して豪雨を降らしたのであろう。

今日からお祭りが始まった。

提灯行列で騒ぐ子ども達の声が

聞こえていた。

ざわざわと周囲が蠢いているが

私は兎に角、たっぷりと眠れたら

それで良いと考える。





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Last updated  2007.10.05 21:29:14
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