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2007.10.10
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カテゴリ:想い
新品の傘を差して

歩いた昨日の道々は、

何だかわくわくとした

雨の夜だった。

大学生の頃から使っていた

ピンク色の傘は

柄の曲がった部分から

折れてしまっていたが

それでも使っていた。

今回購入したものは

柄の部分が細く

少しお洒落な感じがするので

何だか嬉しい。







早朝まで降り続いた雨は

いつしか止んで

朝陽が差し込んだ。

つまりそんな時間まで

私は起きていた訳である。

押入れを探っていたら

懐かしい本が出てきたので

お薬の服用を忘れて

読み耽っていた。

『トランス・トランス・フォーエバー』

という作品である。

著者は2002年、

18歳の若さで命を絶った。

遺稿となる訳であるが、

とても読み易い短編集である。

また、摂食障害の女の子が

主人公の作品もある。

他の作品も、主人公にどこか

厭世的な部分があり

けれども生きようとしている感じも

否めない。

この酷薄な世の中で

純粋な命が必死に叫んでいた

言葉たちが、ちりばめられている。







6時前、眠くなってきたので

お薬を服用しようと想ったが、

何となく

「まだ眠りたくないな。」

と想った。

早い時間に目覚めるのは厭だと

想った私は、無意識に

過食と嘔吐をしていた。

食欲はなかったけれど私は

「時間を潰そう。」と想うと直ぐ

過食と嘔吐に走る傾向にある。

まさに、惰性でやっている感覚がある。

こんな事では駄目だと考えたが

そして食べ始めた自分を

止める事は出来なかった。







全てを終えて

食器もお鍋も全て

洗った後

ぐったりと横たわった。

兎に角早くお薬を服んで

眠りたいと考えていた。

6時半頃、起きてきた母は、

お薬を次々に口に入れている

私をじっと見ていた。

というよりも、見張られていた。

今処方されているお薬で、

6時間から7時間は眠れるので

別に多く服用するつもりはなかったので

私は何も言わなかった。

けれども、心配を掛けてしまって

いるという事を痛感した。

「沢山飲まな、いかんのやねえ。」

と母が言うので、

「うん、まあ胃薬とかビタミン剤も一緒に

 飲みよるから・・・。」


と返事をした。

それから眠気が訪れるまで

西原理恵子の漫画を読んで

8時前には眠ったと想う。







6時間経つと、必ず目が覚める。

どんなに眠気が残っていても

起きてしまうのである。

私はそれに対して

苛々とした感情を持ってしまう。

しかし今日は母がいつもより早く

お仕事を終えて帰宅した。

利用者さんのキャンセルがあって

早めにお仕事が終わったらしい。

家に、母が居る事がとても嬉しい。

独りではないという安心感は

何物にも代え難い。


母と会話する時間。

仕事の悩みを聞く時間。

そういった触れ合いがあるという事を

私は本当に嬉しく想う。

今は、母との関係を少しずつ

築いていければ、それで良いと想っている。







「どうして私は、生きているのだろう。」

初めてその疑問を持ったのは、

7~8歳位の頃だった。

小学3年生になり、

担任はお腹の大きな妊婦だった。

いつも、ヒステリックだった。

容赦ない体罰が

毎日、教室の中で行なわれていた。

特に、忘れ物をした生徒には厳しかった。

前の席の女の子は、

よく忘れ物をしたり

宿題をしてこなかったりした。

だから私の目の前で

その女の子が頬を酷くぶたれたり

頭を拳骨で殴られたりした。

それに私は恐怖感を覚えた。

強迫神経症が酷くなったのはこの頃で、

眠る前、時間割と宿題を

きちんと揃えてランドセルに入れたが

見落としていないか

心配で不安で仕方なくて、

お布団の中に入っても

10分おきに、また2階に上がって

ランドセルの中身を確認するという

行動をしていた。

やがて、学校へ行く時間になると

決まって腹痛を起こすようになった。

休む事もあった。

母は私の様子がおかしい事に気付き、

私は先生が怖い事、学校が怖い事を

素直に告げた。

すると母は、担任に私の状態を

言ってくれたようで、

酷い体罰の場面を見ることは

ほんの少し減った。

やがてその先生は産休に入り、

背が高くてふっくらした

若い女性の先生が代理の担任になった。

その先生は、優しかった。

弱っていた私を、かばってくれた。

そこで、私のピンと張っていた糸が

緩んだか千切れたかしたのであろう。

途端に全てのものが波打って見えた。

自分の存在、今までの強迫的な観念、行動。

たった7~8歳の子どもの脳は

混乱して、厭世的になり

「もう学校になんて厭だ。どこか山奥へ行って野垂れ死にしたい。」

と、いつもいつも考えていた。

学校を休む為にわざと風邪を引こうと

雨の中傘を差さないで

遠回りして下校して

怒られた事もあった。

やがて、習い事などに忙殺される

日々が続いていったので

一旦それら

“学校が厭だ” “生きるって何?”

といった感情は鳴りを潜めたが、

原点は、そこら辺にあったのだと

今、感じている。







今は、切実な

“希死念慮”

が私のこころの中で

育っている。

自分が生きていて良いなんて

正直、素直に想う事は出来ない。

死んでしまっても、

遺された家族達は

それでも何とか、それぞれの人生を

全うしてくれるのではないかという

甘い考えも持っている。

私の好きな、ハインリッヒ・ハイネの言葉に

以下のようなものがある。

“For sleep is good,

 but death is better still,

 the best is never to be born at all”

「眠りはいい。死はもっといい。

 一番いいのは生まれ来ぬこと」


これは、私の頭の中に

いつも存在している言葉である。

この言葉を見つけて、

ハイネの詩集を購入したのである。

まだまだ、生きている間に

色々と言葉から学びたいものである。







涼しい1日であった。

一昨日まで、家ではTシャツで

過ごしていたが、今はもう

薄いフリースを羽織っている。

一雨毎にあの暑さが、流されていくようである。

過ごし易くなった分、

外出の切っ掛けが掴めるかも知れない。

無理をしない程度で、

先ずは本屋へ行く事から

始めてみたいものである。





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Last updated  2007.10.10 21:46:14
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