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凍えたココロ

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2007.10.11
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カテゴリ:平穏
夜中にやっと

雨が上がったらしく

車道に溜まった雨水を

車が跳ね上げる音だけが

静かに響いていた。

濡れた道を歩きながら

可燃ごみ置き場に

ごみを捨てに行った時

空を見上げたら、

雲はなく、星が瞬いていた。

それは、とても綺麗だった。







夜中、1回目の過食と嘔吐

終えて、ゆっくりと

カルーア豆乳を飲んでいた。

凄く疲れていたし、行為自体に

うんざりしたので、

もうこのまま眠りたいと想った。

けれども、私にとって早い時間に

眠剤等を服用すると

自分にとっては

早い時間に起きてしまい

日中、長い間意識を保って

いなければならない。

今は、意識があるという事が苦しい。

どうしても自分の状態に苛立ちを覚え

過食と嘔吐という行為へ

安易に走ってしまう。


意識があると、過去の事まで

どんなに拒絶しても

鮮やかに甦る。

現に、最近は夢で小学生時代の

ストーリーを見ることが多い。

現在も、勿論辛く苦しいけれど

小学生の頃は、どんなに苦しくても

助けを求めたり頼ったりする

人やお薬もなかった。

あの苦い苦い想い出は、

パンドラの箱に仕舞っておきたい・・・今は。







結局、読書をしたり漫画を読んだりしても

時間を潰しきる事はできず

厭々食べ始めた。

直ぐに胃を満杯にする為、

水分を沢山取りながら

吐き易いと想っている食べ物を

只管詰め込んだ。

過食と嘔吐をした後は

必ず、

「もう厭だ!もうこんな事するものか!」

と強く想うのであるが、

惰性のなせる業なのであろう、

流されるままに

いつの間にか食べ始めている事が多い。







こういった習慣を見詰め直した時、

いきなりその行為をゼロにするのは

無理だと感じている。

大学生の頃は、時間を計算して

1日7~8回、過食と嘔吐

繰り返していた。

そしていつしか家庭環境も安定して

7回が4回、4回が3回、

そして1日1回まで減らす事ができた。

先ずは“過食と嘔吐”の回数を

減らす事から始めたいと想う。








それでも、容易な事ではない。

だからいきなり

“食べたら必ず過食

 繋がってしまうものを消化する”


という事は、無謀であると感じる。

今は、外出が困難だという事で

長い間臨床心理士による

カウンセリングを受けていないが、

その先生は、

「回数を減らす事から努力してみましょう。」

と仰っていたのを覚えている。

現在、1日3回が定着している。

辛抱すれば、2回に減らす事も

可能であると感じている。

それは多分、こころに余裕が

ある時のみ実行できるものであろうが、

そこから、始めたいものである。







病を生きるという事は、

必然的にどうしても、

病症に拘泥してしまう事になる。

これでは“病を生きる”とは言えない。

「食べて吐くのはもう厭だ。辛い辛い辛い・・・。」

それだけを想っていたら

前へは進めない。

とはいえども、無理して

前に進む必要はないと想っている。

無理をしたら、どこかで不具合が生じる。

“生きる為に治す。治す為に生きる。”

これが基礎になっていて

“病を生きる”

という事に繋がるのであろう。

けれども私の中で

根深く蔓延っている

ニヒリズムが、それを赦さない。

「全てに於いて、虚無感を覚える。

 生きている事自体、虚無である。」


という考えが、私のこころを

強く掴んで離さない。

これは子どもの頃からの

考え方であり、癖とも言える。

「どんなに頑張ったってどうせ・・・。」

「どうして生きているのか。

 生きていても虚しい事ばかりなのに。」


といった考えは

少女時代から変わらない。







唯一、ダイエットをしていた時だけは

違っていたような気がする。

あの頃は、確かに目標意識があり、

体重が減る事に、今までにない悦びを

ひしひしと感じていた。

痩せていく身体を確かめると

達成感すらあった。

だが、無理をしていた事は否めない。

一切の間食を止めて、

食事の量も少しずつ減らして

とうとう殆ど食べなくなった。

1日パン1個と水2リットルだけで

過ごした日々もある。

そして何かに取り憑かれたが如く

夏の暑い夜、厚着でウォーキングした。

そんな“無理”が

いつまでも続く訳がない。

それらの行為を止めた途端、

体重の数値はどんどん戻っていった。

恐怖を感じ、また、それまでの我慢が暴発して

スナック菓子を1袋食べてしまった。

その頃、母は仕事のストレスで

夜中までだらだらと

ビールを飲みながら色々食べていた。

沢山食べて、吐いていた。

その真似をして、自分も

吐いてみたのが、この長い長い

付き合いとなる摂食障害

始まりであった。







ニヒリズムで、ペシミズム。

それが私の代名詞となりつつある。

でもこころの何処かで、

“人間愛”

について深く考えている部分は

否めない。

母の愛があるから、今私は生きている。

妹や弟も、自身がしんどい中でも

時々私の事を気にかけてくれている。

家族愛。

主治医も、私のこころが破れて千切れて

お薬を多めに服用した際、

翌日私の携帯電話に

電話を掛けて下さった。

患者を思い遣る愛。

この世が愛で満ち溢れているなんて

そんな綺麗事は考えもしないが、

それでも私は、あらゆる“愛”に

助けられ、導かれ

生きているのだと感じる。

如何に生きていくか。

この病たちと共に

いつか寛解を目指して如何に生きるか。

それが問題である。

後ろ向きになったり

卑屈になったりする事もある。

でも必ず明日は訪れる。

逆に、訪れないかも知れない

場合だってある。

だから1日1日を大切に

する事が大切なのだと感じる。

少なくとも、今というこの

8秒間を生きる事は

諦めないでいたいものである。







夜は涼しく心地好い風が吹いているので

久し振りに遠回りをして

スーパーへ向かった。

車や人の通りが少ない道だったので

鼻歌を歌いながらゆったり歩いた。

空を見上げれば、晴れていて

星が沢山見えた。綺麗だった。

昼間はまだ25度を超える暑さで

猛暑よりはマシだが、

昼夜の温度差に少し戸惑う。

失敗してもいいから、先ずは

“過食と嘔吐の回数を1回でも減らしてみる”

という事から挑戦したいものである。





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Last updated  2007.10.11 21:51:22
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