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凍えたココロ

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2007.10.16
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寒さを感じた朝、

母と他愛の無い会話が

出来て嬉しかった。

お仕事がお休みの母が

家に居てくれるだけで

安心した私は、

ぐっすり眠れた。

落ち着いているという感覚が

心地好いと感じる。







病気を病気として受け止め、

受け容れる事。


病気を治すのには先ず

それが一番大切だと想っている。

そして、比較的早く

病気を受け容れ“病人”になれた人は

治るのも早いのである。

こころや脳の病は、

数え切れないほど沢山あるが、

特に摂食障害に関しては

周囲も本人もそれを

“病気”

だと判断しない人が多いと感じる。

まだまだ理解を得難い病であり、

気力、努力、頑張り等で

どうにかなると考えている人が多いと

感じている。

怠けていたり、

努力が足りなかったりするという

理由で病が治らない訳ではない。

病を治すのには兎に角

“休養”

が必要なのである。







いつも使用している例えであるが、

風邪を引いた際は

熱が上がり、咳が出るといった

症状がある。

そういう状態で動き回ったら

症状は更に悪化する。

だから、床に就いて

滋養を摂り、休む事が必要である。

また、努力したり頑張ったりする事で

熱は下がらないし、咳も止まらない。

「迷惑だから止めろ!」

と言われても、

自力で何とかできる訳が無い。

摂食障害が風邪と同じだと

いう訳ではないが、

“病気である”

事に関しては同じである。

これは、主治医から懇々と

いつも諭される事である。







1週間振りに、電話診察を受けた。

主治医と様々な事柄について

話し合っていたら、

自分の中に現実が戻ってきた。

「人と建設的な話をするというのは

 こんなにも温かい事なのか。」


と身に沁みて感じた。

勿論、母と他愛の無い会話をする事も

私にとってはとても大切なものである。

「今、私は生きている。」

と、少々大袈裟ではあるが

感じられる。

自分の中だけで、病気に関して

考えていても、

煮詰まってしまうだけである。

「自分は情けない。」

と想ったり

「死んでしまえたら・・・。」

と考えたりして

ついに思考は停止してしまう。

現実から逃れる事だけに

執着する自分がいる。

だが、いつも主治医から言われるように

「生きていくという事は治すという事。」

との言葉通り、

建設的な話が出来ると

私は停止したままでは駄目だと

考え直せるのである。







私の主な病は

摂食障害である。

その中で、抑うつ状態にあり

動けなくなるのである。

そういう時に、

“健常者の基準”

で物事を考えるのは

自分を苦しめるだけであり

罪悪感を増幅させるのだと分かった。

動けない事も、病症が出て辛く苦しい事も、

哀しいのも、寂しいのも、

死にたくなる事も、病気だからである。

また、病症をコントロールできないのは

当たり前の事なのである。


健常者からすれば、

「それを“甘え”と言うんだよ。」

となるのかも知れない。

しかし、実際に

病症をコントロールする事なんて

不可能なのである。

それが、健常者と病人との間にある

齟齬なのであろう。

でも、その状態を理解してくれる人が

私の傍にいる。

母が居て、家族があって

主治医が居る。

大切なのは、

傷付き・哀しみ・怒りなどに仕舞いを付けるのは

自分自身だという事である。


医者はそのように本人が仕舞いを

付けられるようサポートしたり

導いたりする存在である。

また、私にとっては母も

傍で支えてくれている存在である。

そして、自分自身が仕舞いを付けるのには

生きていてこそできるのである。

死んでしまったら、病に関しても

何もかも、中途半端で終わり

悔恨の念だけが残ってしまうであろう。

過食と嘔吐の症状がどうこうと

考えるよりも、仕舞いを付ける事を

先ず考えるべきだと想う。

勿論、病気の症状は本当に辛く苦しい。

コントロールできたらどんなに良いかと

想う事もある。

だが、病気なのだから

制御したり抑え込んだりするのは

到底無理なものなのである。

自分と向き合い、

如何に自分で自分の事に

仕舞いを付けられるか。

少しずつ考えていきたいものである。







1週間ずっと、自分の頭の中だけで

病気について考えていたら、

参ってしまった。

自分を責める言葉ばかりが

頭に浮かんできた。

信頼の置ける主治医と診察での

話し合いが、どれだけ大切な事かを

痛感した。

何もかもを病気の所為にして

それに甘んじたり、諦めたりしては

いけないと想っている。

だが、病と生きる事や

治す為に、自分自身に仕舞いを付けるために

生きていく事は、

どんなに病の症状が出ても

それを受け容れ、受け止めて

更に前に向いて進めるのだと考える。

しかし、いつも前を向いていたり

進み続けたりしたら疲れる。

だから絶対に休養が必要なのである。

睡眠を大事にして、

後は主治医に注意された

“お薬は定期的に一定の量を

 身体に入れておく”

という事を守り

次の診察日まで色々と考えを

熟成させたいものである。





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Last updated  2007.10.17 06:28:50
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