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2007.10.19
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ゆらゆらと

夢の世界に漂い、

眠りを満喫して

そして目を覚ます。

そんな当たり前の現象で

私のこころが落ち着く。







落ち着いているという事。

こころに余裕があるという事。

それらを感じ、大切に出来れば

病気を治していく切っ掛けを

掴めるのであろう。

だが、毎日の病症・・・つまり

過食と嘔吐は視野を狭め

精神の余裕を奪い、

やがて切羽詰った状態になる。

思考を巡らせる事も厭になり、

全ての活動が一時停止してしまう。

進んだり、退いたり、止まったりという

そういう過程を経て

いつか振り返った時に、

病の出発点よりは

成長している自分に

気付けるのであろう。







摂食障害という病は、

“過食と嘔吐” “拒食”等の病症が

無くなったから治ったとか、

健康になったとは言い難いと想う。

病を経て、所謂出発点から

“こころにゆとりがあり、より自由度が開けたか”

という観点から見て

成長を感じられた時にやっと

「健康になった。」

と言えるのであろう。

この考えは、主治医の主張であり、

私も、その通りかも知れないと想っている。

摂食障害の症状が無くなって

治ったものと考えても、

そこに果たして病の出発点から

成長している自分がいるか、

それは分からないものである。

より見解が狭くなって

嘗て同じ病だった人達の事を

批判するのは容易い。

「怠けている。気合が足りない。情けない。」

そういう言葉を、

摂食障害の症状がなくなって

向こう側の人間になった人から

よく聞く事がある。

病気を患っている人に対して

病人として接する事が出来ず、

自由度が狭いところに

固まってしまった人たちを見かけると

やはり哀しいと想う。

その点で、私は

エキサイトのブログで

摂食障害が治って

より成長して自由度が増し、

“治った人” “治っていない人”

と区別しないブロガーさんを

こころから尊敬している。

インターナショナルな視点を持ち、

実際海外でも活躍している

方なのであるが、

ブログを拝読する度に

元気を頂く。

そして、

「この病気は治るものなのだ。」

といった希望を抱ける。

その為には、ただ目の前にある

症状だけに固執してばかりでは

成長しないであろう。

主治医が仰るように

出発点と比較して、よりゆとりがあり

より自由度が開けている状態


目指したいものである。







私は、まだまだ健康度が低い。

無論、病気の真っ只中にあるのだから

当たり前の事である。

そこで、また想い出したのは、

「健康とは、ハプニングをどう生きられるかという事である。

 正しいとか正しくないとか決め付けるのではなく

 どれだけ、想いを人と共有できるか。

 そこに意味がある。」


といった主旨の、主治医による言葉の

数々である。

わざわざ作らなくても、

毎日ハプニングは起こっている。

しかし私はそれに対して

右往左往するだけで

対処が出来ない。

そのハプニングで起こる

様々な出来事や想いを

どれだけ人と共有できるか

という事に意味がある。

それらは、こうして生きていく上で

身に付けられる力なのであろう。

だから、死ぬ事によって

全てを擲ってしまうと

そこで、全てが終わりになる。

終わりを願って止まないこころ。

私はそれを否定できないけれど、

「治したい。成長したい。」

という想いも強くある。







“成長する”とはどういう事か。

主治医によると、

「精神の成長とは“広がり”である。

 上へ向いて伸びるイメージがあるけれど、

 それでは限界がある。

 でも、広がりは尽きる事などないから

 いつまでも成長できるし、尺度もない。」


との事である。

私はこの言葉に温かさを感じた。

成長は、広がり。

思い返すと、1年前よりは

今の方が自分の広がりを感じられる。

それは至極微少なものかも知れない。

また、そうした広がりを得られるのは、

主治医との話し合いの場があるからだと

私は想っている。

現実の世界で、主治医と

現在の状態、そして様々な事柄について

話を広げる。

母とは、お互いの距離を良い状態に保ち

丁度良い接触を感じる事、

また、他愛のない話を通して

温かさを感じている。

そして、母も成長を続けている。

変化を感じる度、そう想う。

だから私も、

いつまでも止まってはいられない。

休養を大切にしながら、

こころの余裕を感じて

病気を治す事に対する考え方を

持ちたいものである。







夜空を見上げると、

決して手に届かない星々が在る。

もっと周りが暗ければ

幾億もの星が見えるかも知れない。

自分の“成長”という名の広がりも

あの空のように限界がないのであろう。

決して、見解の狭い人間にはなりたくない。

物事を決め付け、下らない事に

固執するのは避けたい。

可能性を大切に出来る、

大切な人とハプニングを共有できる

そういった人間へと成長したい。

勿論、躓いたり転んだりして

成長するのも進むのも

厭になってしまう事もあるだろう。

そういう時は少し休んで

また自分のペースを取り戻して

この限られた“時間”を大切にしたい。





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Last updated  2007.10.19 21:49:27
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