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2007.10.20
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カテゴリ:想い
自分が自分を追い詰めている。

最近、そう想う事が

多くなった。

自らを狭い所へ閉じ込め、

自由度を奪う。

しかし、狭い所で

身動きが取れなくても

“動かなくて良い”

という安心感がある事は

否めない。







今朝、私は馬鹿な事をした。

就眠前のお薬を全て

服用したのに、

また過食と嘔吐

始めてしまったのである。

何故か落ち着かず、

何かに苛々していて、

「食べたい・・・食べなければ・・・。」

という考えに支配された。

最初の内はいつものように

食べ続けていたが、

その内お薬が効いてきて

上半身が前後に揺らぎ始めた。

トイレへ行く時も

真っ直ぐ歩けず、あちらこちらに

ぶつかりながら全てを終わらせた。

それでも食器洗いだけは

きちんとせねばならないとの

想いが強く、やり遂げた。

自業自得とは言えども

本当に馬鹿な事をしたものだ。







デパスを追加して服用して

ぱたりと倒れ込み

眠りの世界へ誘われた。

朝、眠るのが遅かったので

起床したのも16時頃であった。

心身に怠さが残っていて、

動くのも億劫だったので

私はそのまま

TVから流れる音を聞くともなしに

ぼんやりと過ごしていた。







私は、こころから安穏な状態を願っている。

だが、此処の所

何だか胸がざわざわとするような

苛立ちとも不安感とも

区別の付かない

漠然とした想いが全身を支配している。

私は毎日、こうして

ブログを綴る事によって、

自分自身を確かめている部分がある。

綴るという事は

“言葉”を紡ぎだす事であり、

それによって文章が成り立つ。

私は一介のしがない発信者に過ぎない。

でも、文章を綴っている限り

その“言葉”には

気を付けねばならないと想っている。

直截な言葉は、いとも容易く人を傷つける。

“言葉”は時に鋭利な刃物となり、

相手のこころを刺し、抉ってしまう。


これらは特に、

用心せねばならない事柄である。

何気ない一言が、人を傷つけてしまう事。

また、“言葉”は諸刃の剣でもあり、

自分をも傷付ける場合がある事。

そして、病気・・・特に

こころの病は、デリケートなものである。

そして健常者には理解し難い部分が

とても多いと感じる。

無論、全ての人に理解を求めている

訳では決してない。

ただ、傍に居る家族や主治医には

最低限の理解を示してもらえたら

とても生き易くなるであろう。







病を患っていても、

1人1人アイデンティティがある。

それを、尊重していかねばならない

のではないであろうか。

健常者には健常者の、

病人には病人の生き方がある。

また、人それぞれの生き方を

否定する気は全くない。

デリカシーのない言葉を

投げつけられ、傷付いたとしても、

「そこまでの人間という訳だ。」

と流す事が出来れば良いのである。

けれどもやはり、健常者に

差別されたり詰られたり

罵詈雑言を浴びせられたりすると、

哀しい想いになる。

それでも、直ぐ流せてしまうのは、

自分の事を何も知らない人の言葉を

いつまでも気にしていては

時間が勿体無いからである。

だから、自分なりに前へ

進める方法を模索する。

自分や未来は“今”に留まらず、

変えていく事が可能である。


病気である状態の時、

社会の尺度や基準に自分を当て嵌めても

ただ、苦しいだけである。

世の中には、様々な人間が居る。

それを受け止め、自分を受け容れる事、

更に何もかもを否定しないで

生きていくのが大切なのであろう。







しかし、無闇に病人を

“社会の基準”に倣って

デリカシーに欠ける言葉を以って

追い詰めるのは余り良くないと考える。

私は、病気を治し、そして

生きたいと想っている。

抑うつ状態が酷くなると、

そう考えられなくなる場合もあるが。


今は脆弱な状態である為に、

あらゆる基準に則って

生きていくのは難しい。

比較的調子が良くて、母と共に

笑い合える日もあれば、

塞ぎ込んで全身が鉛のように重く

動けなくなる日もある。

それをそれとして受け止める事で

漸く私は変わりなく訪れる

明日を迎え入れられるのである。







摂食障害という病気には

まだまだ未知の部分が多い。

それはきっと、病気である人々の

症状が100人居れば100人違うからであろう。

個々の抱えている懊悩は、異なるものである。

そしてその抱えきれないほどの

苦しみや悩みをいつも感じるのは

余りにも辛いものである。

だから、私の場合は

パンドラの箱に仕舞ってある。

だが、病を治す為にはいつか、

このパンドラの箱を開ける必要がある。

何が溢れ出すか分からない。

それは恐怖でもある。

しかしそれと向かい合わない事には

前には進めない。

そういう想いに疲れたら、私は休む。

今の私にとって必要なのは

病気を治す為の底に秘められた力を

発揮できる何かである。


そうする為には先ず、休養が

一番大切なのだと私は想う。







「月が綺麗だね。」

「今日は冬みたいに寒いね。」

他愛のない母との会話が、

冷え切った心身を温める。

家を出て夜空を見上げたら、

半月でも明るく輝き、綺麗だった。

深呼吸すると、秋の馨が

鼻腔をくすぐる。

殺伐とした世界・・・今はしんどいから

そこから離れたい。

安穏とした気持ちで、

自分の想いをブログに綴りたい。

その為にはもう少し

自我を確立する必要があるだろう。

自分を自分として認めるところから

始めようと想っている。

私なりのペースを掴むのは

結構難しいけれど、

疲弊を感じたらゆったりと休んで、

また前を向けば良い。

そんなスタンスを大切にしたい。





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Last updated  2007.10.20 21:36:03
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