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2007.10.21
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カテゴリ:想い
生活のリズムが

少し安定している。

たとえ、それが健康的でなくとも

心が落ち着いているので良い。







夜中、過食と嘔吐

1回終えたら、お蒲団に潜り込む。

最近とても寒いので、

がちがちと震えながら

身体を丸めて温かくなるのを待つ。

そうすると、いつの間にか

1時間半ほど眠っている。

目覚めると5時頃である事が多く、

そのまま眠剤を服用して

眠ればよいものを

私はまた、過食と嘔吐を始める。

それと片付けを済ませたら

やっと、深い眠りに落ちる。

一度、そういった習慣が

根付いてしまうと、

変化させるのが難しい。

でも、苦しいのはもう沢山なので

なるべく早く眠りたいものである。







“自分のペース”とは如何なるものか。

気付けばいつも、焦っていたり

無理をしたりしている。

だから中々こころは落ち着かないし

穏やかに過ごす時間も少ない。

「それが、脳の病気なんだから仕方ない。」

と片付けるのは簡単だが、

それよりも、もっと大切な事を

忘れているような気がしてならない。







何度も綴っているように、

私はこころの病だけでなく

脳の病も患っている。

摂食障害はこころの病と

されている。

他にも私が患っている病はあれども

それは

“休養を大切にして過ごす”

という事で症状の悪化を

免れている。

私は、身の上に起こっている症状など

何もかもを、病気の所為にするつもりはない。

だが、病気だから苦しくて、

これらは病気の症状なのだ
という事は

受け容れているつもりである。

気合や頑張り、気の持ちよう等で

症状が消えるのであれば、

医者も臨床心理士も必要ないであろう。

勿論、努力でこの病を

治した方もいらっしゃる事は

存じている。

だが、さまざまに病が絡み合った時、

小さい頃からのトラウマや

何らかの精神障害が発症している際は、

やはり専門家と話し合い、

診察やカウンセリングという形で

己を見詰め直す必要があると感じる。

病気が治った後、どのように

生きていくかを考える為にも。

だから、パンドラの箱を

開ける必要がある。

人のこころを大切にしている

専門家は、診察若しくはカウンセリングが

終了する際には

きちんとパンドラの箱を閉めて下さる。

家に専門家は居ないし、

それらの思いを1人で抱えるのは

とても苦しいものだからであろう。

その点、私は助かっている。







こうして、自分の病気について

記している事には

きっと意味があるだろうと想っている。

アナログでの日記は

正直、義務でもない限り続かない。

だけど、此処では指を動かすだけで

想いが次々と文字になっていく。

消しゴムを使わずに、

大部分を削除する事も出来る。

また、こうして綴っていられるのは、

このブログに訪問して下さり、

コメントを残して下さる方々のお陰である。

その方達に凄くこころを救われる事もある。

こころから感謝の念を申し上げたい。








自分のペースを掴めば、

穏やかに過ごす事もできるであろう。

無理をしたり焦ったりしても

この病は直ぐに治るものではない。

治っていく“プロセス”があり、

それが1番大切なものだからである。


だから、自分の歩みがどれだけのものかを

知る事も必要である。

治った人の真似をする事や

同じ行動をする事で

絶対に治るとは言い難い。

人それぞれ

バックボーンやバックグラウンドが

異なるからである。

摂食障害は、類似した症状を

呈している為、

治療も決まったものがあると

勘違いしてしまう場合がある。

しかしこの病気は、

それぞれの“治療方法”

見つけて、その人に合った

治し方で生きていくのが大事なのであろう。







何事も、私は“きちんと”こなさねば

ならないと想っている。

だが、それは

“健康”であってこそ

できるものなのである。


何もかも理路整然とこなそうとすると

どこかに無理が生じている。

私の場合は、

“強迫観念” “強迫行為”

となって現れる。

また、それが自分を

生き難くしている事も承知している。

1つの物事に囚われ過ぎて

他のもっと必要な事が

出来なくなる事も多い。

そういう時の自分を思い返すと、

「余裕がない。ゆとりがない。」

という状態である。

いつも、

「こころに自由度を。余裕を持って・・・。」

と考えているのに、

一旦執着してしまう出来事が起こると、

それが頭から抜け落ちてしまうのであろう。

穏やかさを求めてやまないのに、

私は愚かしく、漠然とした不安に

いつも追いかけられているかのようで

落ち着かないし、恐怖感を覚えている。

それもきっと、

“病気を治すためのプロセス”

を経ていく事によって

緩和される事を願って止まない。







2日位前までは、

Tシャツに薄いフリースジャケットを

羽織るだけで過ごせていたが、

今日はもう、厚着をしている。

スーパーへ行く際も、

粗く編んであるニットのロングコートを

着ていくほどであった。

それでも寒い。兎に角寒くて仕方が無い。

秋を楽しむ暇がなかったような気がする。

秋はとても短く、その儚さが

私は好きなのかも知れない。

寒くなると、何故か夏よりも

痩せてしまうので、

気を付けねばならないと想っている。

それでも、ゆらりゆらり、ふんわりとした

少し緩めな心持ちで

過ごしたいものである。





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Last updated  2007.10.21 21:24:05
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