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カテゴリ:抑うつ感
落ち着かない。
こころが、ざわざわする。 漠然とした不安が 膨張していく。 そんな、朝だった。 でも昨夜は、 久し振りに温かい気分で 過ごせたのである。 電話診察を受診した際、 主治医からの提案を 実行に移してみた。 それは、 「2人ともお酒を飲むのなら、 ちょっとした時間だけでも ビールを酌み交わし、 一緒に飲んでみたら?」 というものであった。 早速、母に話したら 「一緒に飲もうか。」 と誘ってくれたので、 ブログの作業を終えたら直ぐ 発泡酒の缶とグラスを手に 母の部屋へ入った。 この日は、秋刀魚の塩焼きと あさりのお味噌汁が 晩御飯だった。 母はビールを飲む為 ご飯は食べない。 なので、上記の主菜に加え 副菜としてトマトをカットしたものと ほうれん草のお浸しを テーブルに広げていた。 私は発泡酒を飲んでいて 寒かったので 熱々のお味噌汁を用意した。 因みに母は、ビールを グラスに注がない。 何だか気が抜けるような感じが するそうである。 私は泡が好きなので、 グラスに注ぐ。 全ての支度が整ったところで 「お母さん、お疲れ様。」 と乾杯した。 こうして、家にて 2人一緒にお酒を飲むのは 初めてかも知れない。 凄く新鮮な感じがした。 そして、胸の辺りが温かくなった。 自然に、笑みがこぼれた。 ニュースを観ながら、 「あーでもない、こーでもない。」 と会話して、 母の部屋にある料理本を見て 「私もお料理の勉強せないかんなあ。 でも難しそうやなあ。」 と呟くと、 「慣れたら簡単なもんよ。」 と返してくれた。 言葉を発すると言葉が返ってくる嬉しさ。 これは何物にも代え難いと 私はいつも考えている。 23時が近付くと 母は眠る時間なので 「おやすみ。」 と言って部屋を出た。 キッチンで一緒に煙草を吸って、 また会話を楽しみ、 それぞれの部屋へ戻った。 1週間に1度でも良いから、 このような時間が持てたら、 私はとても嬉しく想う。 1人で飲むお酒よりも2人で飲む方が、楽しい。 所が、私は朝が近付くにつれて こころに荒波が立ち始めた。 何故なのかは分からない。 ただ、只管、苦しい。 定期的にお薬がきちんと身体に 入っていないからかも知れない。 1日3回のお薬を そのように服用すれば良いのだろうが、 睡眠を深くする為に 眠る前、2回分まとめて服用している。 つまり、18時40分頃 日中薬1回分を服用した後は 頓服のデパスしか服用しない状態になる。 だから、お薬の効果が 半減してくる朝、 こころがざらつくのであろう。 早朝、母の携帯に電話がかかってきた。 風邪を引いているので お金が必要だと。 てっきり妹からだと想って 母は手持ちが少なかったので 私が本を買う為に貯金からおろした お金を渡した。 だが、電話の相手は弟だった。 弟は、月曜日にも母からお金を 貰っていた筈である。 それがもう無くなったと言って また貰いに来る神経を疑った。 だが、私も母に扶養してもらっている 立場なので、何も言えない。 弟は、健康だし病気もないし 障がいも持っていない。 でも怠け癖があり 飽き性であり 仕事が長続きしない。 なのに彼女と2人で暮らす為 いつも母からお金をせびり貰っていく。 虚しくなった。 そして、私さえいなくなれば、 母の負担は減るのだと想った。 私に掛かる生活費を、 弟に与える事が出来る。 私が消えてしまえば良いんだと想った。 なのに、それを赦してくれない。 自傷さえも赦してくれない。 これらは私の自分勝手な 欲求である事は承知している。 私の命が消えたり、自傷したりしたら 母が物凄く哀しむ事も 痛いほど分かっている。 「だったら病気でも何でもいいから働けよ。」 という声が内側から聞こえる。 でも、動けない。 うつ病の恐ろしさ、 重さ、苦しさを改めて感じる。 病気が治った暁には、 母に苦労や負担を掛けた分 否、それ以上働いて 母と共に生きたい。 母と、楽しく生きたい。 色んな場所へ旅行したいと想う。 鬼が笑うような物凄く先の話かも 知れないが・・・。 ハロウィンだという事で、 スーパー内にある 洋菓子店ではミニチュアの “チョコレートフォンデュ”が 出来るようになっていた。 だから周囲にチョコレートの 甘い香りが広がっていた。 しかし、それをよく見てみると、 「本日は終了しました。」 との紙が置かれていた。 少しだけ、残念だった。 チョコレートの香りは、何だか とても幸せな気持ちになる。 私の古い記憶で、甘いものと言えば “ココア”だったからかも 知れない。 “ミロ”だったと想う。 いつも1日1回、お昼に飲めるそれを 楽しみにしていた覚えがある。 後は、甘いホットミルクも大好きだった。 今でもそれは、 心が安らぐ味である。 摂食障害についての学説で、 「甘いものを沢山求めるのは、 母の愛を欲しているからである。」 という文章を読んだことがある。 それが信頼できるものかどうかは定かではない。 摂食障害を患っている人それぞれ 症状は違っているからである。 だが、思い当たる節もある。 母や妹との仲が険悪であった 大学4回生から卒業後半年間 働いていた頃は、 毎日お徳用のチョコパイを 全て食べていた。 過食するもの殆どが 甘いもので占められていたと想う。 しかし、母が私に対して こころを汲み取ってくれたり 病気を理解しようとしてくれたり するようになってからは、 自然と甘いものから遠ざかった。 単に、甘いものに飽きただけなのかも 知れないけれど、 食べるものの内容はがらりと変わった。 勿論、甘いもの・・・例えば菓子パン等は お買い得の際に購入して 食べる事もある。 チョコレートは、低血糖を 起こしそうな時、口に含む。 けれどもやはり、甘いものにはどこか、 安心感を覚える部分がある事は否めない。 母と過ごした夜は1時間強であったけれど、 胸がいっぱいになった。 母も、色々会話をしながらの食事だったので 直ぐお腹が一杯になったと言っていた。 水曜日は、ドラマ『相棒』が 放送される日である。 理想の男性は水谷豊である。 ドラマでの水谷豊・・・つまり 右京さんしか知らなかったが、 去年、『徹子の部屋』に出演していた 彼を観たとき、凄くユーモアがあり、 沢山笑う人で、笑い顔もまた 渋いなと感じた。 もう水谷豊の虜かも知れない。 この時間にブログを綴っているので ちゃんと録画している。 後にそれをじっくり観るのが また楽しみなのである。 母も、このドラマは楽しみにしていて、 急いで自分用の簡単な夕食を 用意していた。 朝、私は本当にどうかしていた。 弟に腹を立てた自分に もっと腹を立てて、 自制する事が出来なくなり、 食べていた途中だったが うめき声をあげながら 箸を食器に何度も突き刺し、 それを折ってしまった。 その後は、気が抜けたように 黙々と食べ物を口に運んでは 咀嚼し、飲み込む作業を 淡々と進めて限界が来たら 戻した。 馬鹿な事をしてしまった。 堪忍袋をきちんと持たねばならないと 猛省している。 色々な事が溜まりに溜まって 堪忍袋の緒を解いてしまった 自分が情けない。 主治医のアドバイス通り、 兎に角ゆっくりと過ごしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.10.31 21:39:12
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