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カテゴリ:抑うつ感
消炎鎮痛剤は、胃を荒らす。
例に漏れず 私は胃の不快感に 悩まされている。 しかし、下腹部と腰の痛みで 七転八倒する苦しみを味わうより 胃の不快感を選ぶ。 だから私は、ロキソニンを服用する。 身体のどこかに痛みがあると、 落ち着いてはいられない。 何となく苛々としてしまい、 ざわざわとするこころを 持て余す。 特に昨日は、余りにも 突発的で哀しい出来事があった為、 私は、少し錯乱していて とうとう自傷してしまった。 あの患者さんは、 もっと先生と話したかったのに 私が電話を掛けた為に、 診察終了時間を迎えた。 確かに私も一患者であり、 金曜日は受診の日である。 タイミングが悪かったのだろう。 そう想うしかないけれど、 私の中から罪悪感が 消える事はなかった。 融通の利かない ベテランの事務員さん。 確かに契約では18時までが 勤務時間だから、 早く帰りたかったのであろう。 私も臨機応変が出来ず、 物事に鈍い。 元来17時には診察終了時間だから 他の患者さんの診察が全て終わり、 私は1番最後に受診するのだから 良いだろうといった傲慢さがあった。 私は気を利かせることが出来ない。 3度も掛け直す位だったのだから、 機転を利かせて 土曜日の診療時間が終わった時、 受診すると言えたら あんな悲劇は起きなかったのである。 30分も手当てやケアに 時間がかかったのだから、 例の患者さんのリストカットは 深い傷だったのかも知れない。 そう想うと、申し訳ないし 居た堪れなくなる。 ずっと、その事が 頭から離れなかった。 夜中の2時から朝方まで いつも眠っているが、 中々寝付けず お薬の力を借りて眠り、 結局2時間で目が覚めた。 そして、『交渉人 真下正義』を観た。 観ている間は、ストーリーに夢中で 少しだけ安定していた。 登場人物1人1人に個性があり、 血が通っていて、その役柄に “命”が感じられる。 だから、その作品に感動できるのであろう。 『踊る~』のドラマも映画も 私が高校生のときに 放送されたり放映されたり したものであったが、 放送日が本当に楽しみであった。 本広監督は、『7月7日、晴れ。』という 観月ありさ主演の映画監督でもある。 あの映画も、大好きである。 今日から、『SP』という やはり本広監督のドラマが 放送されるので楽しみである。 最近、こうして楽しみに出来る ドラマが少なくなってきた。 大好きな女優さんが出演しているものでも、 脚本によっては面白くない作品も あったし、最近は小説や漫画が ドラマ化されているものが多い。 私は、それなら原作の方を読む。 今クールのドラマで楽しみなのは、 上記の『SP』と、『相棒6』位かもしれない。 月9のドラマは話題になっているけれど、 私は原作本を買うつもりである。 話が脱線してしまった。 自傷。 二の腕をきつく縛り、 血管を浮き立たせて そこを鋭い、とあるもので刺した。 静脈から、真紅の血液が 次から次へと溢れ出した。 痛みなど、全く無かった。 血が止まらないように、 消毒用アルコールで湿らした コットンで何度も拭いた。 腕が、血まみれになった。 リストカットをしていた時よりも 沢山血が流れた。 そこでやっと、私の中で罪悪感が薄れた。 主治医の前でリストカットするほど 逼迫してはいなかったけれど、 私は私なりの手段で自分を傷つけた。 歪んでいる。 そして、爛れている。 心の傷は生々しく、手に負えない。 「何故生きねばならないのか。」 という事を考え始めると、 私の思考は途端に一時停止する。 勿論、成長する為であり、 病気を治す為であるという事は 分かっている。 だが、何故そこまで辛い想いをして 生きねばならないのだろうか。 私は、何となく生きている。 祖父母が生きているから、 母が生きているから 生きている。 ただそれだけである。 言わずもがな、 「病気を治したい。美味しい食べ物を母と共に 美味しいビールを飲みながら 美味しいねと微笑みながら食べたい。」 という目標はある。 そして母が病気を治す事について 急かさないので本当にありがたく想っている。 少し、距離の置き方は難しいけれど、 それでも見守ってくれている事には 変わりなく、感謝している。 そして温かい。 だけど、小さい頃から こころに刻まれた傷たちは かさぶたも形成されず、治る事無く 今でも爛れた傷が、ある。 これは、時間が癒してくれるものであろう。 また、こころの成長が 治療を助長するのであろう。 でも、一時停止した後 停止状態に陥った思考は、 動く事を躊躇している。 また傷付くのではないかという 恐怖に怯えている。 正直、主治医との電話診察が怖くなった。 また、他の患者さんを傷つけるのでは ないかと想うと、怖い。 また、昨日言葉にしようとした想いたちが 暴れまわっている事も否めない。 収拾がつかない。 下手をすれば、また自傷に走りそうな 自分を感じる。 「もう、何もかもどうでもいい。」 とペシミズムがむくむくと膨れ上がる。 どうでも良い事なんてないという事は 十二分に承知しているのに、 何もかも放擲したい気分である。 だが、私はそれでも 母が落ち込む姿を見るのは厭だから 笑顔で接する。ジョークも言う。 傷は放置したままでもいいと想う・・・ 今は。 どんなに苦しくても、 楽しむ時間を作ることは 忘れたくない。 音楽を聴くのも良いし、 読める気力があるなら読書も良い。 レンタルショップでDVDを借りて 映画を観るのも良いかも知れない。 兎に角、過食と嘔吐以外で 寂しく、哀しく、辛く、苦しく、虚しい時間を やり過ごせる方法を見つけ出したい。 今はどうしても、 強迫観念、強迫行為による 抗えない強い力に流されるままに 過食と嘔吐をしてしまうが それもまた、仕方のない事であろう。 病症を我慢しても、得られるものは無い。 無論“辛抱”出来る時は そうして過ごす方が良い。 その“辛抱”とは 1人でするものではなく、 周りのサポートがあって 成功するものである。 それ以外であれば、ただの“我慢”である。 “我慢”はすればするほど ストレスが溜まっていく。 苛立ちが高まり、後で反動が来る。 その線引きは、難しい。 兎に角、症状を症状として 受け容れる事こそ、 治療の第一歩なのではないかと 私は想っている。 溢れて止まらなかった、真紅の血液。 痛みこそ無かったけれど、 ただでさえ24時間出血している時期に やるべきではなかったと後悔はした。 貧血と、気分の悪さが重なったからである。 しかし、そのお陰かも知れないが9時間は眠れた。 PMSの症状で睡眠時間が短かった分を 取り戻している感じである。 だから、日中の過食と嘔吐は無かった。 夜中と朝だけで済んだ上に たっぷり眠れたので こころの中は錯綜していて 訳が分からなくなりつつあるけれど、 表面上、落ち着いているような気はする。 ただ、自傷する事でしか 錯乱した気持ちを落ち着ける事が出来ないのは 哀しいと想った。 別の方法がきっとある筈だと信じたい。 傷を新たに作る方法以外のものが。 それらについて考えながら、 ぼちぼちと落ち着いて過ごしたいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.11.03 21:47:21
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